【国会レポート】自国のことは、自国で決めるために【2023年1号】

ロシアのウクライナへの侵攻が始まってから1年が経過しました。1983年から1987年まで、統一前の西ドイツで駐在員として生活していた際の、東西冷戦下で暮らす緊張感が戻って1年になります。1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊してドイツが統一され、資本主義と社会主義の対立は無くなり、世界は一つになったと思われたことは幻想だったかも知れません。

隣国中国の動向を考えると

2010年12月に、一人で北京に渡り、朝から晩まで、中国での日本研究の第一人者や、日本人で中国の信託銀行の経営者など要人に会い続けました。選挙で選ばれた私たち日本の政治家よりも、選挙が無い中国の為政者の方が、常にその瞬間瞬間の14億人の民意を推し量る必要があり、その緊張感は私たち日本の政治家の比ではないと実感しました。また、いくつかの派閥(大きくは、革命時の幹部を親にもつ太子党と中国共産主義青年団出身者)に分かれて、激しい権力闘争を中国共産党内で行うことによって、権力の暴走を抑え込んできました。そして、中国では権力の暴走を抑止するために、最高権力者である国家主席の任期を2期10年に制限してきました。

中国のSF小説「三体」は、世界では、2,900万部発行されています(2021年4月)。冒頭は、物理学者を父に持つ天文学者の女性が大学の研究者であった時、吹き荒れる「文化大革命」で、大学教授の父親が鉄の三角帽子を被らされ、中学生の紅衛兵によって命を奪われかけても、なす術がなかったシーンから始まります。文化大革命は1966年から1976年までの10年間、毛沢東国家主席と4人組と呼ばれるグループが主導した権力闘争で、死者は2000万人に及ぶと言われています。その結果、中国は激しく荒れ、停滞しました。従って、一人に権力が集中することを防ぐために、国家主席の任期を2期10年と憲法で定めました。しかし、習近平氏は、2018年に憲法改正を行い、任期制限規定は撤廃され、2022年10月に、3期目の国家主席に就任し、人事を側近で固めました。

言論の自由があって、イノベーションが喚起される

2018年に30年振りに深圳を訪れ、世界で一番大きい電気自動車企業であるBYD社など先進企業を視察した際も、2020年1月に都市閉鎖8日前の武漢を訪問し、衛星画像を利用して世界中の穀物の収穫予想をしているベンチャー企業を取材した際も、自由闊達な議論があり、私の質問にも率直に答えて頂きました。例えば、アメリカから購入する画像データは、米中関係が冷え込んでいるので、どうですかと聞くと「画像は荒くなってきている。しかし、日本からは公開情報で画像データを手に入れることができている」と。

私は、「言論の自由があって、社会全体での自由な発想が生まれ、人々の独創的な発想が喚起され、ビジネスでのイノベーションが起こる。」と考えています。新型コロナウイルス感染症が流行して、世界が混乱する中で、中国政府は、香港への統制を強め、香港での言論の自由は大幅に制限されています。

また、中国政府は、アリババグループ、テンセント・ホールディングス、「TikTok」を運営するバイトダンスなどに出資するなど、インターネット市場での主要企業に対する統制を強めようとしているとの報道があります。アリババグループやアントグループの創業者であるジャック・マー氏は、2020年10月に、政府による金融規制が技術革新の足枷になっていると中国政府を批判して以降、表舞台では姿を見かけることはありません。

自由闊達な雰囲気があって、これまでにないアイディアが生まれると考えていますので、習近平氏が統制を強める中国では、ビジネスでのイノベーションは起こり難く、経済は停滞すると思えるのです。

各国の期待があって成り立つ国連の紛争解決

2022年4月のNHKドキュメンタリーで、ロシア政治情報センター所長のアレクセイ・ムーヒン氏は、「プーチンは就任当初、アメリカやヨーロッパにかなり好意的に接していました。ブッシュ大統領とも友好な関係を築きました。」、しかし、「私は、2011年2月にプーチン大統領と個人的に会い、『西側に対する方向転換をいつ決めたのですか』と質問すると、プーチン氏は『ブッシュ大統領がイラクに戦争を仕掛け始めた時、アメリカはロシア政府にウソをついていることが判った』と素直に答えてくれました。」と話しています。番組のナレーションは、「2003年、アメリカは国連安保理の決議が無いまま、イギリスなどとともにイラクへ軍事侵攻したが、(略)開戦の理由に挙げた、大量破壊兵器は発見されなかった。」と解説しています。

米ロどちらが正しいかは分かりませんが、両首脳の信頼関係が損なわれたのは事実ですし、国連を通して紛争を解決しようとする機運がなくなったのでないかと思えてなりません。

細心の注意を払う外交と安全保障

1989年にベルリンの壁が崩れ、1991年にソ連が崩壊してから、米国の圧倒的な力を背景として、各国間の貿易量が増大して、相互依存こそが世界平和を創造するとの考えが圧倒的でしたが、その綻びは、ずっと前から始まっていたと思います。

冒頭、私は、東西冷戦下で西ドイツに暮らす緊張感が戻ったと書きましたが、国連が機能不全に陥っていることを考慮すると、それより前の第二次世界大戦以前に戻ってしまったのかもしれません。その上、中国憲法を改正し、習近平氏の国家主席3期目が始まったことは、我が国周辺の緊張感は高まることはあっても緩和することはないと考えます。

我が国は、科学技術力の衰えによって、新しい価値を生み出す力が減衰しています。まず、国力を回復させるために、基礎研究から企業での研究開発まで、長期にわたって安定的に政策を実施することが必要です。国力が回復し、外交上の自由度を取り戻すまでは、例えば、尖閣諸島を他国に実効支配させないように、細心の注意を払った外交と安全保障を進めたいと思うのです。

(2023年01月30日)