【国会レポート】海外動向に左右されず豊かに暮らせる国造りを目指して【2020年6号】

駅を利用する方が明らかに減っています。地元もそうですし、特に国会への乗り継ぎで利用している東京駅丸の内側も、一時期は、休日ではないかと思える日もありました。在宅勤務の定着は、仕事の評価と報酬のあり方を変えるでしょう。

上場企業の役員と話しても、出社は週に一回程度で、社内の会議もパソコンと、アイパッドで資料を見ながらのオンライン会議です。移動時間も掛からず効率的と伺いました。誰が収益に貢献しているか良く分かるそうです。本社機能をもっと簡素化して、営業や製造現場の近いところに人員配置を進めようか、検討も始まっています。

感染症に対しての都市の脆弱性

さて、新型コロナウイルス感染症の流行によって、大都市に暮らすことの危なさを多くの方が気づかれたと思います。

中国武漢市を訪問したことがありますが、武漢市は、近代都市です。市内にゴミは落ちていませんし、高速道路の両側30メートルは植栽が整っています。イオンモールも3店舗あり、その一つは世界で5番目に大きい店舗です。日本人の責任者から、その出店計画は日本でのセオリー(理論)通りと説明を受けました。ユニクロは、日本よりも2、3割割高です。ホンダの世界で一番新しい工場も武漢にあります。工場のレイアウト、従業員のモチベーションなど、すべての面で完璧でした。従業員の給与は、ボーナスを含めれば、日本人の年間所得と遜色がありません。また、30階建てのマンションが高速道路沿いに林立しています。つまり、日本と同じ程度に発展している都市なのです。

しかし、1月23日に、中国政府は、家から出ることを禁じた都市閉鎖を命じました。そして、その高層マンション内で集団感染が発生したと指摘されています。つまり、武漢市は、人口密度も人口規模も東京23区とほぼ同じで、感染症に対しての都市の脆弱性が世界でもっとも早く出現したのでした。

ところが、中国は共産主義国家であり、個人情報を国が持つことに抵抗感がないこともあって、その後、人口14億人の一人ひとりの感染状況を、誰がいつどこにいたかも含めて個別に管理することで、新型コロナウイルス感染症を封じ込めています。新規感染者は、海外から中国に入国した方であり、国内での発生は押さえ込んでいます。高速鉄道は満席、国内線は7割から8割の座席が埋まっていると、9月には、北京に暮らす知人から電話で伺いました。そして、最近、11月上旬に、中国から帰国した方にお会いすると、武漢市では、求人が求職を上回っているそうです。

安全な都市への住み替えが始まる

さて日本では、新型コロナウイルス感染症が再拡大する恐れがありますし、首都直下地震のリスクも高くなっていることも考えると、東京への通勤や通学、東京で暮らすことを考え直す必要があります。

最近、通勤可能で安全な都市への住み替えが徐々に始まっています。先日、神奈川県の同僚議員から、武蔵小杉駅周辺の高層マンションから住み替える住民の方が増えていると伺いました。なぜなら、高層マンションは、昼間の居住人数が少ない前提で設計されていますので、在宅勤務が常態化すると一日中エレベーターが混み合います。そして、エレベーターに乗ると、住民の皆さんは、壁を向いて一言もしゃべらないとも聞きました。一方で、小田原市は新幹線を使えば東京まで35分ですので、同市への引っ越しを考える方が増えてきているそうです。

私の地元では、空き家が毎年増えています。在宅勤務の定着、首都直下地震への対応を考えれば、大宮台地に位置し、地震や水害に強い私たちが暮らす地域では、今後、空き家の価値が見直されると考えます。

エネルギーと食料の地産地消を進める

これまで、すべての機能を東京に集中することで、電力などエネルギーが効率的に供給され、人を介した情報もやり取りもスムーズに行われています。しかし、今回の新型コロナウイルス感染症と、首都直下地震のリスクの高まりを考えれば、効率を追い求めることが、実は危険が大きいことが明らかになりました。

我が国は、エネルギーと食料を自給できないことが、国の政策の自由度を制約してきました。つまり、原材料を輸入して、製品化して付加価値をつけて輸出することで、エネルギーと食料を輸入するモデルを選択する以外の方法がなかったのです。しかし、テクノロジーの進歩で、エネルギーは、太陽光、風力や水力発電で発電量の17%(2020年上半期では23,1%)を賄えるようになりました。

食料も、人口減少を背景に、今後、消費量が減って行きます。例えば、飼料米はたわわに実ります。人が食せる飼料米を地元の農家から分けてもらって食べたことがありますが、新米でもあって美味しく頂いたことを思い出します。米穀中心の食生活に変えて行けば、国民を養うだけの最低限の農地は、今のところ確保されています。

今から、35年前、ドイツで駐在員をしている際に、歩道や公園に敷設されるインターロッキングブロックのデザインで世界を相手に仕事をしている方を訪問したことがあります。南ドイツのブドウ畑が続く丘陵の上に居を構えておりました。当時既に自動車電話がついていて、車から東京の本社に電話したことも覚えています。そして、勤務地を自由に選べる働き方に魅力を感じました。

場所に縛られない働き方であるテレワークで勤務地の分散化を進め、エネルギーと食料の地産地消を広めることで、海外動向に左右されず、安全に余裕を持って暮らせる国造りを目指して、政策提言を進めて参ります。