【国会レポート】国民の理解を深め、納得感を高める国会審議とは【2018年5号】

予算委員会など与野党のやり取りをテレビ中継でご覧になった方から、「もっと激しく疑惑を追及すべし!」、「政策について落ち着いた議論はできないのか?」、「予算委員会なのになぜ予算を審議しないのか?」など、ご指摘を頂きます。

このところ国会改革が話題になっています。私の知り合いの政治ジャーナリストから取材を受けましたので、その一部を掲載します。

(問)今年は国政選挙の予定はありませんが、いつものように地元と国会を頻繁に往復される日々を過ごされているのでしょうか?

(大島)昨年は解散、総選挙があり、来年には、統一地方選挙と参議院選挙、そして埼玉県では知事選挙が予定されています。衆議院は、突然に解散したりするものですから、私たち衆議院議員は、良い悪いは兎も角として常に選挙を意識することになります。そのことは、ある意味では、民意を汲み取る努力を惜しまないことにもつながっているとも言えます。

(問)「民意を汲み取る努力を惜しまない」とおっしゃいました。政治家の多くは「プライベートがほとんど持てない」生活を続けています。そこまでする理由は何ですか?

(大島)国民生活に関わるあらゆる事象は、国会で議論されます。我が国のオーナーである国民の皆さまから選出され、その一議席を預かっているという自覚です。

(問)去年から続く「森友・加計問題」では、議論の前提となる公文書が改ざんされ、偽りの内容が国会に報告されるという前代未聞の事態が起こりました。

(大島)国会での議論にあたっては、国が持っている情報は国民のものなので、すべて開示することが原則です。特に内政に関わるものは躊躇なく開示して議論に供することが、民主主義の維持には欠かせないのです。政府や官僚機構が文書を書き換えたり、開示を拒んだりすることは、オーナーたる国民の皆さまに対する冒涜と考えています。

(問)これまでご自身は7回の選挙を経験されました。「選挙」を通し、国民と政治家はどのような関係、言い換えれば、双方がどのような責任を負っているのでしょうか?

(大島)選挙を前提とする民主主義の目的は何であるかと考えると、有権者との結びつきを常に強めること。つまり「私たちが選んだ、私たちが決めたんだ」と意識していただくことが民主主義の安定には欠かせないと考えます。投票所で候補者の名前を記名する際に、候補者を思い浮かべ、一瞬どちらにするか迷った上で投票して頂くことが大切と思います。

(問)今年の通常国会では、疑惑追及など与野党が極めて激しく対決し、いわゆる「審議拒否」という事態になりました。国会を開いて議論をすべきではないでしょうか?

(大島)国会では、法案の賛否は多数決で決まります。法案に反対するもしくは政府・与党の疑惑を追及する少数派である野党は様々な手段を用いて抵抗を試みます。かつては、本会議採決の際、議長席に押しかけ議事進行を妨げようとする「乱闘国会」や、採決を少しでも遅らせるため、できるだけゆっくりとした足取りで投票にむかう「牛歩戦術」が行われました。いずれの方法も、「私たちは、この法案に最後まで断固として反対した」と、世論にアピールするのが目的でした。「審議拒否」も同じで、今回は、「文書を改ざんした役所の最高責任者・財務大臣が辞任するまでは審議できない」となったのです。

(問)確かに野党の疑惑追求に対する政府の答弁は論理的におかしいところがありました。なぜ、そうした点を堂々と真正面から追及していかないのでしょうか?審議拒否は「職場放棄」をしているという批判もあります。

(大島)私も民間サラリーマンでしたので、国会での「審議拒否」が「職場放棄」と映っていることは良くわかります。会社の仕事は、いついつまでに仕事を仕上げなければならないという工程管理表、つまり線引き表があって進捗を管理していきますので、その前提に立てば、「審議拒否」は「職場放棄」となります。しかし、議会の役割は、国民の権利を国家権力から守ることです。国会で何を審議するかは一つの権力行使でもありますので、与野党間で一歩一歩合意を積み重ねながら進めることが必要ですし、政府の説明が不十分であれば、「国民の情報」なのだから、開示しないと審議に応じられないとなる訳です。

(問)3年前(2015年)の安全保障法制をはじめ、今の政府・与党は、かなり強引な姿勢で法案を審議し最後は「数の力」で押し切るといういわば「権力の暴走」が目立っています。一方、野党側も「答弁に納得がいかない」などと審議拒否に入ってしまうケースが目立ち「国民目線でのチェック機能」の役割を果たしているのかと感じます。与野党双方に「乱暴な国会運営」が際立っています。

(大島)かつて、参議院の河野謙三議長は「七三の構え」と言って、国会運営について7割は野党の主張を受け入れ、与党の言い分は3割にとどめました。野党が審議拒否をすることは与党の力不足と認識して野党の主張も聞き入れながら、丁寧な国会運営に務めていました。先の大戦の記憶が生々しく残っていた頃は、丁寧な合意形成が権力の暴走を止めることになるとの理解を与野党の議員が共有していたのでしょう。「牛歩戦術」や「審議拒否」が、支持していただいた方へのアピール、つまり少数派の納得感を高める行為でなくなった現在、例えば、審議時間を十分に確保した上で徹底的に議論して法案の解釈を議事録に残し、条文修正や付帯決議を付けをなど、新たな国会運営の形式を模索する時代に入っていると考えています。