【国会レポート】中国・深圳の視察(その2) 活発なベンチャー創業【2017年12号】

深圳の中心には華強北という世界最大の電子商店街があります。20年ほど前に深圳の関係者が秋葉原に来たとき、電子部品の店が集まっているラジオ会館を見て、深圳でも同じような街をつくろうと華強北を電子商店街にしたそうです。今やその規模は秋葉原の30倍にまで拡大していて、ヨドバシカメラやビックカメラのようなビルが何十棟も建ち並んでいるかのようです。これらのビルの5階くらいまであらゆる電気製品、電子部品が置いてあるので、好きな方なら、華強北に何日いても飽きないでしょう。

華強北がユニークな点はもう1つあります。電子商店街の上の階が起業家のインキュベーション(孵化)スペースになっていることです。起業家は月1000元(約1万7300円)を払うと3ヵ月間だけ、このスペースに机と椅子が与えられます。そこで多くの若者たちがパソコンに向かって熱心に仕事をしており、一見すると会社の1つの部署のようですが、実際にはそれぞれ独立した起業家で、独自の技術やアイデアを持ち、成功を夢見て中国全土から深圳に来たのです。

シリコンバレーをモデルにした出資方法

インキュベーションスペースの起業家たちは、投資家から評価されれば投資を受けられます。しかし3ヵ月間のうちに投資を得られないとインキュベーションスペースから出なければなりません。厳しい競争にさらされているのですが、それだけに活気があって、共産党政権下とは思えないような資本主義的な自由な雰囲気に溢れています。実際、2016年の統計によれば深圳での新規登録企業数は38万6704社にも上っていて、これは毎日1059社も創業していることになるのですが、おそらく2017年はさらに新規登録企業の数が増えているはずです。

北京が国有企業の都市、上海が多国籍企業の都市なのに対して、深圳では中小の民間ベンチャー企業が中心で、目下、2万社以上のベンチャー企業が活動しています(前述の新規登録企業の大半は消えていく)。

起業家が元気なのですから、もちろん投資家にも活気があります。今回、その1つの深圳清華大研究院にも足を運びました。ここは全国で初めての新型の科学研究機構として深圳市政府と北京の最高学府・清華大学が折半出資で1996年に設立されました(清華大学は中国の習近平総書記の母校でもあります)。以来20数年間で1600社あまりの企業を立ち上げ、うち40社を上場させました。現在も約900社と関わりを持っていて、約300社に投資しています。

ここで30歳代の投資会社の経営者からも話を聞くことができました。同氏は、父親の仕事で米国へ行き、UCLAを出て米国籍を取ったそうです。同社は深圳清華大研究院の関係企業で25億ドルの資金を持っているそうですが、2014年から投資家と起業家とをマッチングする会合を開いています。このイベントはすでに中国の約50都市で200回以上開催しています(合計16万人の投資家と起業家が参加)。

中国での投資方法としては、私が4年前にアメリカのシリコンバレーで見たピッチ(Pitch)というイベントをモデルにしているようです。アメリカの投資の仕組みをよく勉強して同じやり方を導入したのでしょう。ピッチでは、多数の投資家を前にして何人もの起業家がいかに自分の事業モデルが優れているかを3分間で訴えます。起業家が20人なら1時間、ずっとプレゼンが続くのですが、企業家は3分間で投資家のハートをつかみ、投資家は見込みのありそうな事業を提案した起業家と相対で交渉します。

最後に、この若い経営者は、「子供が幼稚園までは深圳にいるつもりだが、その後は、米中を行ったり来たりする生活になるだろう」とも言っていました。

深圳のモノづくりの土台となった日本企業

中国全土から成功を目指して若者が集ってくるのは、いずれにせよ深圳にビジネスチャンスがあるからです。それで、いったん海外に出た中国人のほか、世界中からビジネスマンが深圳にやって来ています。深圳で私が名刺交換をしたフランス人は、工業デザインの専門家でした。まだ30代前半くらいの彼も「中国はこれまで、優秀な製品はあっても優秀な工業デザインはなかった。そこにビジネスチャンスがあると思って深圳に来た」と話してくれました。

また、深圳では日本への留学経験のある30代の中国人ビジネスマン5人と意見交換する機会もありました。5人とも勤めているのは日本企業ではなく、中国のドローン・メーカーの社員、中国の証券会社の社員、米国大手銀行の深圳支店長などで、いずれも日本語が流暢でした。彼らの話ももちろん興味深かったのですが、それ以上に印象深かったのは、5人とも今回が初対面だったので、意見交換の後にお互いにメールアドレスなどの連絡先を交換し合っていたことでした。彼らはビジネスに対してアグレッシブであり、チャンスを逃さないために、すぐにつながろうという意識を強く持っています。

ではなぜ深圳でモノづくりが発展したのでしょうか。40年前に改革開放政策の特区に深圳が指定されてから、まず進出したのは日本のセイコーエプソン、キャノン、リコー、富士ゼロックスといった精密機械メーカーとその関連会社でした。以来、日本企業は中国人に改善活動など、ものづくりのノウハウを伝えてきたのです。今や日本企業が培ったものづくりの基盤の上に、中国のハイテクベンチャーが乗っているといえます。秋葉原とシリコンバレーに学んだ深圳は今や、ソフトでもハードでも世界的なベンチャー創業の中心地になっています。

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