【国会レポート】安保法制の議論で欠かせないテロとの戦いや財政コスト問題【2015年2号】

3月18日、北アフリカにあるチュニジアの首都チュニスでテロ集団による博物館襲撃事件が起きました。このテロ集団はチュニジアの治安部隊によって排除されたのですが、不幸にして日本人3人を含む21人がテロの犠牲となり43人が負傷してしまいました。

最近、このようなテロ集団による襲撃事件が世界各地で頻発しています。国家の敵は国家だけではなくテロ集団や武装集団も対象となってきました。国家対テロ集団の戦い(非対称戦ともいう)の時代に突入したといえるでしょう。

現代のテロ集団が持つ具体的な特徴とは

この現代の国家対武装集団・テロ集団の戦いの具体的な特徴は、まずテロ集団がインターネットを通じて他のテロ集団とネットワークを形成し軍事作戦や軍事行動で連携するようになったことです。そのために指令の出どころも外部からはわかりにくくなっています。

また、テロ集団との戦いは長期の戦いとなりがちです。たとえばイラクでは、テロ集団であるISIL(イスラム国)も出現してしまい、いつ終わるとも知れません。そのほか、アルカイダやISILなどのテロ集団はインターネットを利用して武力誇示やイメージ操作、戦闘要員募集などの情報戦も積極的に仕掛けており、今はこの情報戦の面で国家側がテロ組織の情報戦に対応できていないといえるでしょう。

以上のようなテロ集団との戦いの時代の到来を予想したのがイラク戦争開始時の米国の国防長官ドナルド・ラムズフェルドです。2006年米国外交問題評議会での講演で、テロ集団はメディア時代の戦争の仕方を心得ているが、我々の側(政府・メディア・社会)は、メディア時代の戦争にうまく対応出来ていないと警鐘を鳴らしました。その上で、政府の内外から専門家を集めて改革を進め、新たな作戦や地域にすぐれた広報チームを迅速に派遣し、新聞、ラジオ、テレビ、インターネットのすべてを使った広報を展開できるようにしなければならないなどと訴えています。

2001年9月11日の夜、国会から地元の自宅に帰ってテレビをつけると、ニューヨークの世界貿易センタービルにテロリストが操縦する2機目の航空機が突入するところでした。私は東京もテロの対象となっていると考え、夜中に妻の運転で東京に向かったのでした。しかし、翌朝の議員会館は緊張感のない変わらぬ日常でした。今回も首相官邸に落ちたドローンが14日間も見つかりませんでした。東西冷戦下の西ドイツで緊張感を持って生活した私の経験からすると、我が国は危険を意識することなく生活できる数少ない国です。つまり、テロに対して無防備です。海外でのテロとの戦いも重要ですが、国内での対応をしっかりすることが優先と考えます。

そして、そのことを前提とすれば、首相が1月にエジプトで「ISIL(イスラム国)と戦う周辺国に2億ドルの支援を約束する」とISILを名指したことは、我が国へのテロのリスクを高めたと考えます。ISILは、「日本の首相はイスラム国から8500キロも離れていながら、自発的に十字軍に参加した。そしてイスラム教徒の家を破壊するために、得意げに1億ドルを提供した」と犯行声明を出しました。ラムズフェルドが述べているように、「テロ集団はメディア時代の戦争の仕方を心得ているが我々の側(政府・メディア・社会)は、メディア時代の戦争にうまく対応できていない」のです。

安全保障法制の議論には、テロとの戦いなど我が国を取り巻く安全保障環境がどう変化したのか、国民の意識を含めて国内の危機管理能力をどこまで向上できるのかなど、現実的な論点に基づいて行わなければなりません。

戦後70年間にわたって積み上げた我が国への信頼

また、国連ボランティア、NGO、日本大使館員として世界の紛争地域の武装解除にかかわった瀬谷ルミ子氏がアフガニスタンの経験(この時は日本大使館員)について次のように述べています。「アフガニスタンの人々の日本への好感度は高い。第二次大戦中に欧米から攻撃を受けて荒廃した歴史に自分たちを重ね、政治的な思惑なくアフガニスタンへの支援を行う姿勢に純粋に感謝する人々も多かった」と。アフガニスタンの人々の信頼感は、第二次大戦後の廃墟から出発して世界の経済大国となった、ODA(政府開発援助)等でアフガニスタンをはじめ多くの発展途上国を援助してきた、戦後は国際紛争に武力で関わることがなかったなどの日本の姿勢から生まれているのです。アフガニスタンの各部族長も「日本人が武装解除を勧めるならその通りにする」と快く武装解除に応じてくれたのでした。戦後70年間にわたり、平和憲法を持ち、「中立」を維持して「自衛隊は外には出さない」ことで培った他国からの信頼があったのです。少なくともそのことで我が国自身がテロの標的になることはなかったと考えています。

安保法制の議論にはコストの視点も必要

最後に安保法制整備の議論で見逃されがちなのがコストの問題です。これまで我が国は、憲法9条の制約、そして日米安保条約があるため、軍事力には比較的予算をかけないで済んできました。安全保障法制の整備で新たに法律をつくると、それに基づいて組織や装備が編成され、必ず新しいコストも発生します。たとえば集団的自衛権の下では、自衛隊は、より遠く、より頻繁に、より危険な海外に派遣されることになります。武器使用の恐れが高まり、それに対応した装備が不可欠になってくるでしょう。

今後、我が国の財政では医療、年金、介護などのために出費が増えこそすれ、決して減ることはありません。極めて厳しい財政の中で安保法制整備を議論するなら、併せてどの程度のコスト負担が生じるかという現実的な問題についても目を背けることはできません。