【国会レポート】憲法9条と集団的自衛権に留まらず「立体的な議論」が必要【2001年11号】

10月18日の衆議院本会議において自民党、公明党、保守党の与党3党などの賛成多数で「テロ対策特別措置法案」が可決されました。これは当該国の同意を得れば外国領域まで自衛隊派遣も可能とする法律で、まさに戦後の日本の安全保障政策を大きく転換するものだと言えます。もちろん、テロは人間の尊厳を犯す行為であり断固とした態度で臨むことは当然です。

民主党はこの法案に反対しましたが、大島自身はこの法案が国会審議される中で2つの大きな問題点があったのではないかと考えます。第1点は「国会での法案審議が平面的な議論に終始してしまったということ」、第2点は「政府権力の暴走を防ぐという国会本来の機能が低下しているということ」です。今回はこの2つの点にからめて大島の政治姿勢を述べておきたいと思います。

アメリカ化に反発する世界の情勢

まず第1点の「国会での法案審議が平面的な議論に終始してしまったということ」ですが、「平面的な議論」とは「従来通りの憲法9条と集団的自衛権だけに留まった議論」を指しています。もちろん、国の安全保障にからんでいるわけですから憲法9条や集団的自衛権との関わりが議論されるのは当然のことでしょう。しかし、もはや東西冷戦時代が終わって新しい世界情勢が出現している中ではもっと広汎な議論が求められます。

冷戦時代には第二次大戦後の二つの超大国、米国とソ連がそれぞれの同盟国を率いて直接的な軍事衝突をせずに経済や外交面で激しくイデオロギー対立をしました。その冷戦がソ連の崩壊によって終結、米国が唯一の超大国となった結果、その強大な国力を背景に、グローバル化の名の下に米国流市場経済をはじめ、さまざまな米国的価値観を世界中に押し広げていったのでした。つまり、グローバル化を進めているように見えながら、実はアメリカ化を進めていったわけです。

ところが、世界には独自の価値観で活動している国家、民族、宗教などが多数存在しています。米国的価値観が世界に広がっていけばいくほど、逆にそれに対して強い反発が生まれてくるようになりました。たとえば、今年、イタリアでベネチア・サミットが開かれた時に世界中からグローバル化(実はアメリカ化)に反対する人々がべネチアに押しかけてきて、大変な騒ぎになったのは記憶に新しいところです。また、米国での同時多発テロ事件自体も米国的価値観への反発によって引き起こされたと指摘する人もいます。

つまり、冷戦後の新しい世界情勢は、世界を1つの価値観に染めようとする力と、それに反発しそれぞれの国家や民族、宗教などの独自の価値観を声高に自己主張する力とが対立する構図になってきていると思います。

そうした中では、政治や経済の面でもより近い価値観を持つ者同士(特に国家や民族)が1つのグループを形成していくでしょう。こうして世界中にいくつものグループができて(もちろん米国的価値観を共有するグループもあります)、そのグループが時には対立したり、時には協力し合うといったことが起こっていきます。となると、この状況を大前提にして国の安全保障というものも考えていかなければならないのではないでしょうか。

戦後の日本の復興は米国抜きでは考えられませんし、南北朝鮮問題や中国台湾問題が残っている中では日本周辺地域の安定のために在日米軍の存在は依然として重要です。米国との同盟関係の維持は当然のことで、そのためには米国に対して同盟国としてのシグナルを送らなくてはなりません。

米国だけを見ていてはいけない

一方、日本が米国にばかり目を向けていると、場合によってはアジアや中近東の国々との友好関係や信頼関係が保てなくなる恐れがあります。日本がいつでも中近東から石油を買えるという状態も成り立たなくなるかもしれません。だから、アジア・中近東の国々に対しても友好、信頼のシグナルを送らなくてはならないのです。それは日本人のメンタルな面からも要請されるでしょう。大島は15年近く前のサラリーマン時代にこんな体験をしました。当時、ドイツのデュッセルドルフに駐在中に、トルコのイスタンブールに出張に行く機会がありました。イスタンブールの空港に降り立った時、大島は何とも言えないホッとした気持ちになったのでした。それまでデュッセルドルフでは何の苦労も違和感もなく生活できていたので、この気持ちは大島自身にとっても意外でした。ヨーロッパとアジアの境目のボスポラス海峡を臨むイスタンブールの土を踏んでホッとしたとき、やはり自分はアジアの人間だと改めて実感したのでした。

以上のことから、要するに日本は、米国を中心とするグループとの関係、アジアあるいは中近東を中心とするグループとの関係、いずれもうまく維持していかなければならないし、関係維持のためのシグナルをどちらのグループに対しても送らなくてはなりません。したがって、日本の安全保障の面からそれを考える場合、憲法9条と集団的自衛権の議論に留まる「平面的な議論」ではなく、もっとさまざまな要素を加味した「立体的な議論」をすべることが大前提になるのだと思います。

民主党内では「立体的な議論」が行われた

今回の「テロ対策特別措置法案」はまさに「立体的な議論」をする試金石だったのではないでしょうか。

民主党内部においては、この「立体的な議論」は「テロ対策特別措置法案」の議論の際に十分に行われたと断言できます。大島もこの議論のメンバーとなっていますが、日本で唯一のテロリズムの研究家である首藤信彦衆議院議員、イスラエルの大学院を卒業した榛葉賀津也参議院議員、外務省時代に中東に7年駐在した元外務省官僚の末松義規衆議院議員といったそれぞれの分野の専門家もメンバーとして顔を揃えました。そこでは、世界の安全保障をどうするかという大きな観点から1つひとつの事象を説いていくという形でテロリズム、ユダヤ、アラブ、中東の諸問題について非常に多面的な議論が繰り広げられたのです。

そうした議論を踏まえて、民主党は、たとえば「武器輸送は止めよう」と主張しました。もちろん、これは憲法9条や集団的自衛権のみの観点からの主張ではありません。それに対して、マスコミは「武器とそれ以外の物資は見分けられない」とか「非現実的だ」と批判しました。そんな批判が出るのもマスコミ自身が憲法9条や集団的自衛権だけにとらわれているからですが、民主党が武器輸送に反対するのは「日本の自衛隊がパキスタンに武器を運んでいる映像をアラブ諸国の人々が見たら、日本は米国の属国だと思ってしまう。となると、日本とアラブ諸国との友好、信頼関係が揺らいでしまう恐れがある。また、テロについて無防備にも拘らずテロの危険性が高くなる恐れがある。」と判断したからにほかなりません。これは極めて現実的な対応であって、現実主義の立場を堅持しようとしているのが民主党なのです。

もし民主党内で行われたような議論が国会の中でも行われたら、「テロ対策特別措置法案」の中身は衆議院で可決されたものとはもっと違ったものになっていたでしょう。つまり、米国を中心とするグループとの関係、アジアあるいは中近東を中心とするグループとの関係をどちらも維持するような目配りのなされたものになっていたはずです。冒頭に述べたように残念ながら国会では「平面的な議論」に終始してしまい、その結果、米国との関係ばかりを念頭に置いた「テロ対策特別措置法案」になってしまったのでした。

数の力で審議を尽くさなかった国会

第1点への言及が長くなってしまいましたが、第2点の「政府権力の暴走を防ぐという国会本来の機能が低下しているということ」では、緊急事態とはいえ、日本の安保政策の根幹にかかわる法案なのにあまりにも審議の時間が少なく、首相の答弁も十分練られたものではありませんでした。9月11日に発生した同時多発テロ事件に対し、米国政府は当然のごとく怒りにまかせた反応をしました。日本政府もそれを受けて同様に反応した、そして他国との足並みを揃えるために法整備を急ぐ必要がでてきた、その結果だと思います。

本来、国会には政府権力の暴走を封じ込めるという大きな役割があります。そのために国会で何を審議するかについても毎日一つひとつ手続きをしっかり踏んでいます。国会審議の進め方は民間企業から見ればスピードが遅く感じるかもしれませんが、一つひとつの手続きを怠らずに真摯に審議を積み重ねることでのみ、政府権力の暴走を封じ込めることができるのです。ところが、日本の国会にはこれまで少数意見の尊重という伝統があったはずなのに、今回も与党の数の力で、十分に審議を尽くすことなく法案を可決しました。

大島は説得し続ける

民主党としては、今回の法案が、国連平和維持活動以外で日本が初めて自衛隊を他国の領土にまで派遣するという歴史的に重大な内容を含んでいるため、そこには何よりもシビリアンコントロールの確立、とりわけ国民的合意の確保と周辺諸国の十分な理解が重要だと考えました。そこで少なくとも自衛隊を派遣する基本計画について国会の「事前承認」を盛り込むよう強く求めたのです。しかも緊急の際には事後でもやむを得ないとも決断しました。にもかかわらず結局与党は受け入れませんでした。事後承認だけでいいのであれば、戦前の日本と同様、取り返しのつかない事態を招く可能性があります。

いずれにしても、大島自身は今回のことで政府権力の暴走を防ぐという国会の役割が機能しなくなってきているのではと感じ、大きな危機感をつのらせています。もし、国会が誤った方向に進むとしたら、たとえ1人になっても説得し続けていかなければならないと実感します。