【国会レポート】国民が良い年だと実感できるそれが政治の大きな役割だ【2002年1号】

大島が衆議院議員になってちょうど1年半が経ちました。今、改めて政治の役割は何かと考えたとき、それは、今年の12月31日に1人でも多くの人が「今年は本当に良い年だった」と実感し、さらに「来年も良い年になるだろう」という期待を素直に抱ける状況をつくり出すということではないかと思います。そして本来、そのために安全保障、外交、経済、福祉、教育などすべての分野の政策が実施されるはずなのです。もちろん目下、日本の政治に求められている「改革」も、そのために実施されるべきものです。

この「改革」は、大きく分けると二通りあると思います。一つは規制緩和、行政改革、特殊法人改革といった「政治の透明度を上げる改革」で、もう一つが不良債権処理や財政再建など「経済の改革」です。前者についてはタイミングを選ぶよりも、確実に実行することが重要です。一方、後者については闇雲に実行するよりも、いつ行なうかというタイミングが重要になってくると思います。

つまり、どの分野の政策であっても「実行スケジュール」を伴った立案でなければなりませんし、実行するときにはその「タイミング」に細心の注意を払わなければなりません。違いはどちらの「時」を優先するのか、です。大島は常々「政治とは時間軸の芸術である」と考えています。

ペイオフは本当に国際公約か?

そういう意味で、今実施されようとしている経済政策のタイミングが正しいかどうか。大島は疑問を持っています。

最近、地元の皆さんに接していると、「預金の預け替えしたほうが良いのか」「どの銀行なら潰れないか」といった質問を受けることが少なくありません。こうした質問が出る背景にあるのが今年4月1日から実施される予定のペイオフです。

ペイオフというのは、金融機関が潰れた場合、そこの預金者1人について1,000万円までの預金しか保護しないという制度です。質問には大島も言葉に窮してしまうのですが、そもそも金融の専門家でない一般の人たちがこうした質問をすること自体が異常で政治の失敗だと思います。

ペイオフは昨年4月に実施する予定だったものが今年に延期されたのですが、国際公約だからと今年の実施を強く主張する人たちは少なくありません。しかし、大島はペイオフが本当に国際公約なのか大いに疑問を持っています。国際公約があるとすれば、むしろ日本の経済を破綻させないことなのではないでしょうか。その意味で経済政策の一つであるペイオフは国際公約だからという理由ではなく日本経済にとって必要かどうかという視点で実施するしないを検討するべきだと思います。

理論と現実の間には大きな差がある

ペイオフのほかにも、政府内部では医療保険制度の改革や消費税引き上げについての検討が始まっています。医療保険制度の改革とは保険料の引き上げです。そうなると国民は安心して生活できるどころか、逆に大きな不安に陥ってしまいます。

消費税の引き上げについては、税収が減ってきて財源が足りないからという安易な姿勢の下で検討されています。消費税の引き上げは本来、加熱した経済活動を落ち着かせるために実施するもので、今のように冷え切った経済状況で行なうべきではありません。ますます経済が落ち込んでいきます。

理論的に考えれば、財政再建も不良債権処理も正しいでしょう。そのためには、今まで挙げたペイオフ、医療保険制度の改革、消費税引き上げは必要かもしれません。けれども、それはあくまでも「理論的には」であって、現実にはいつそれらの政策を実施するのか、タイミングを選ばなければなりません。経済というのは、3月31日の財務諸表の数字のみでとらえられるものでなく、日々刻々と変化する生き物だからです。

民間企業の感覚を持たない政治と行政

振り返れば、この10年間、日本ではタイミングの外れた経済政策ばかりが実施されて経済が落ち込んでしまいました。財政再建・不良債権処理という経済政策は2、3年前ならタイミングの合った正しいものだったでしょう。アメリカ経済は非常に好調だったし、東南アジアの経済も順調でした。当時なら日本の国内経済が沈んだとしても、輸出分で補うことができ、財政再建も不良債権処理もどうにか軌道に乗ったはずです。けれども、今のように世界経済が減速している中にあって、その経済政策を中心に据えるというのでは、世界経済はさらに減速し、国内経済も破綻してしまう恐れがあります。

大島は民間企業で19年間サラリーマン生活を送った後に政治家になりました。そのため当初、他の国会議員と比べて自分の感覚は政治家としておかしいのではないかと思ったのですが、今は違います。その感覚の違いというのは、他のほとんどの国会議員には民間企業の感覚がないのに対し、大島には民間企業の感覚が残っていたということです。民間企業の感覚というのは、一口に言えば、前述した「経済は生き物である」という実感にほかなりません。そのような感覚からすると、日本の政治や行政は経済が生き物だということを忘れているために非常に違和感があるのです。

ただしお断りしておきたいのは、民間企業の感覚とは、企業の中でも営業の第一線が持っている現場感覚のことです。たとえば、大きな会社には経営企画室という部署があります。ここは社長の直属機関で経営方針や経営戦略を立案するのですが、実は経営企画室でつくった経営方針や経営戦略というのはほとんど当たったためしがありません。これは大島の経験から言えることです。サラリーマン時代に経営企画室のスタッフ、あるいは社外の経営コンサルタント会社のスタッフと付き合ったのですが、彼らの言う経営戦略はまったく当たりませんでした。反対によく当たったのが第一線の営業マンの予想です。社長が経営企画室の言う通りに動いていたのでは会社は傾くでしょうし、だいいち社長なんていりません。社長に必要なのは営業の第一線の情報であり、そこから現場感覚を汲み取って正しい直感力を働かせ経営に生かしていくことなのです。

国会議員にとって霞ヶ関の官僚というのはまさに経営企画室のスタッフに当たります。しかし、政治家が現場感覚を失ったために政策がいつも的外れとなってしまいました。

アデナウアーが示した政治の本質

大島の尊敬する政治家の1人に首相として西ドイツの戦後復興を果たしたコンラート・アデナウアーがいます。1963年のこと、政界引退を控えた最後の国会で長年の政敵と対峙しました。その政敵が「総理、あなたが1955年にNATO加盟を強行したのは正解でした」と言ったとき、アデナウアーはこう言い放ったのです。

「私は正しいときに正しい決断をした。それが私ときみの違いである」

短い言葉ですが、ここにアデナウアーの本質のみならず、政治の本質があると思います。政治の本質とはやはり正しいタイミングで正しい政策を打つということではないでしょうか。

たとえば経営者の皆さんは、店舗を改修したり、工場を建設したりする場合、タイミングというものを必ず考えるはずです。どういうタイミングで改修したり、工場をつくったりしたら、元が取れるのかということです。経済政策にもこの感覚が最も大切だと思います。どのタイミングで、どういう経済政策を打ったら当たるかということです。

とはいえ、実は1つの問題に対する政策というのはそれほど多くはありません。通常は3つ程度で、ある問題に対して各政党の主張する政策というのもその中から選ばれた1つに過ぎないのです。したがって、正しい政策を選んで正しいタイミングで実施するということが政治家に課せられた最も大きな役割だと言えるでしょう。

そういう意味で、今、求められるのは、経済の現状をもう一度よく認識し直して、経済を活き活きさせるための政策を打っていくことだと思います。まず雇用対策や経済を活性化させる対策が必要なのです。

政治が心を温めるメッセージを

経済というものはそんなに難しく考える必要はありません。人間は突拍子もない生活をしているわけではないからです。起きて、食事をして、仕事や勉強に出かけて、帰宅して、夕食を食べて、寝る、そういう日々の繰り返しであり、大勢の人々がお互いに関り合った(=サービスしあった)日常の積み上げが経済なのだと言えます。そして、経済が良くなるというのはお互いがサービスし合う量が増加するということなのです。

そこでは、お互いに「あなたのために私に何かできるでしょうか」という姿勢が前提となります。ところが、今の経済ではお互いにサービスをし合うよりも、「自分のことだけやるから、かまわないで下さい」と拒否しています。そのため、多くの経営者が「同じ業種のなかでどこか潰れてくれないだろうか」と思うようになっています。同業他社が潰れるとその分だけ自社が楽になるからです。こんな経済は間違っているのではないでしょうか。本来、助け合い、サービスし合って、お互いの生活を向上させるというのが良い循環なのに、現実はその逆で、悪い循環に入ってしまっています。

そこで今、政治に求められているのが、お互いにサービスをし合おうと思えるような国民の心を温めるメッセージです。当然ながら、そのメッセージはタイミングの合った正しい経済政策によって伝えなければないと強く感じています。