【国会レポート】メッセージがなかったブッシュ大統領の国会演説【2002年3号】

海外からの国賓が来日すると、永田町や霞ヶ関の街頭にその国の国旗が日章旗と一緒に掲げられます。今回、2月17日から19日まで星条旗が永田町や霞ヶ関に翻り、米国のジョージ・ブッシュ大統領は滞在最後の日である19日の午前に国会で演説しました。ご承知の通り、日本の国会には衆議院と参議院とがあります。海外からの国賓の国会での演説は、衆議院の本会議場と参議院の本会議場とで交互に行われます。今回は参議院で行われました。

事務所での打ち合わせが長引いたため、大島が参議院の本会議場に入ったのはブッシュ大統領の演説が始まる直前。参議院の定数は247人、衆議院は480人です。座席数は参議院の本会議場も衆参同数の480人分ありますのでいつもの参議院本会議では参議院議員全員が座ってもまだ余裕があります。しかし今回は衆参両院の全議員727人が集まり、席は早い者勝ちです。大島はギリギリだったためにすでに空いている席はなく立ち見ということになりました。

大島は、最初は参議院の演壇に向かって右側後方の位置にいたのですが、正面からブッシュ大統領を見据えようと、しばらくして演壇の真正面後方に移動して、ブッシュ大統領の演説を聴きました。この演説は、NHKで生放送されましたし、その後のテレビニュースなどでご覧になった方も多いのではないかと思います。

もちろんブッシュ大統領は英語で演説するので、英語が不自由な議員は議場に入る前にワイヤレスレシーバーを国会職員から受け取ります。このレシーバーから大統領演説の日本語訳が聴けるというわけです。

演壇で演説するのはブッシュ大統領だけですが、大統領夫人、パウエル国務長官、ベーカー駐日大使なども顔を揃えており、小泉首相自身は演壇正面の最前列の席に座っていました。

際立った米国的価値観の押しつけ

さて、ブッシュ大統領の演説内容ですが、概要はすでに新聞紙上などで紹介されていますから、ご存じの方も多いでしょう。その中で、大島が特に気にかかったのが演説のシメの部分です。ブッシュ大統領は、福沢諭吉が西洋世界の経済理念を日本に紹介するために経済学の教科書を日本語に翻訳しようとしたと話し、こう後を続けました。

「『コンペティション(competition)』という英語の言葉が出てきたのですが、それに相当する日本語はなかったのです。そこで、彼は『競争』という新しい言葉を作り出しました。それによって日本語は、以来より豊かなものとなりました。

日本は今、新たな維新に乗り出しました。これは、抜本的な改革と競争の全面的な導入によって実現する繁栄と経済成長の回復という維新であります」

大島が気にかかったのも、この部分は米国的価値観の押しつけではないかと感じたからです。米国に住んだ人はお分かりでしょうが、米国では「競争」あるいは「自己責任」ということが重要視されるものの、一方でそれは非常に厳しい概念なのです。そうした価値観は確かに米国には合っているかもしれません。しかし、だからといって、他の国にも合っているというわけではありません。それぞれの国はそれぞれの生い立ちがあり、それぞれの価値観を持っているのです。日本に米国と同じ価値観を強いるような今回のブッシュ大統領の演説には大島はどうしても疑問を感じざるを得ません。

日本の首相をイチローに喩えていいのか

「総理は米国の新しいベースボールスター、イチローを思い起こさせます。なぜなら、総理は投げられた球をすべて打ち返すことができるからです。」小泉首相をイチローに喩えているわけですが、これは日本という国家の最高責任者である首相に対して失礼ではないでしょうか。なるほどイチローは昨年大リーグで大活躍をして米国で最も有名な日本人になっている人気者です。けれども、想像してみて下さい。日本の首相が米国の連邦議会で上院と下院の議員たちを前にして、「大統領は、(大リーグの年間ホームラン記録を塗り替えた)バリー・ボンズと同じです。いつでもホームランを打ってくれます。」と演説したとしたら、米国民は果たして喜ぶでしょうか。

日本の首相はイチローのようによくできます、と言うのは、まるで学校の先生が「イチローみたいによく頑張っているね」と生徒の頭を撫でているのと同じです。つまり、米国は、日本を同盟国だと言っていますが、一人前の国としては扱っていないのではないか。もっと乱暴な言い方をするならば、米国は日本の首相を植民地の統治官とでも思っているのでしょう。

政治家の演説には感動が必要だ

いずれにしても、ブッシュ大統領からは唯一の超大国のリーダーとしてのオーラのようなものはまったく感じませんでした。大島はサラリーマン時代、当時の韓国の盧泰愚大統領が、今回と同じように日本の国会で演説しているのを、テレビ中継を通して聴いたことがあります。日本人の琴線に触れるような格調の高い演説でした。

ブッシュ大統領にも、聴く前には大いに期待したのですが、期待はずれに終ってしまいました。

要するに、ブッシュ大統領の演説には、唯一の超大国のリーダーとして今後の世界をどうするのかという理想も哲学もありませんでした。昨年9月11日の同時多発テロ後の日本の協力に対する感謝と今後の日本の貢献への期待が主で、それはいわば親会社が子会社をねぎらうような、ビジネスライクなスピーチと呼ぶべきものでした。

演説の仕方についてもブッシュ大統領は単に原稿を棒読みしているように感じました。

かつて、英国のチャーチル首相やフランスのドゴール大統領は即興で演説し、聴衆に深い感銘を与えました。しかし実は、チャーチル首相やドゴール大統領はあらかじめ演説の内容を十分に考え抜いて書き上げ、それを全部暗記してから実際の演説に臨んだのです。そうすることで、聴衆には即興で素晴らしいスピーチを行なったように見せたのでした。かつての大政治家はそれくらい一つの演説を大切にしたのです。

政治家は自分の信念を言葉にのせて皆さんに訴えているわけですから、心に響かない演説では価値がありません。大島はブッシュ大統領の演説を聞きながら、自らも振り返りあらためて、その大切さを実感しました。

大島と同様に、今回のブッシュ演説を聴いて心が動かなかった日本の国会議員は非常に多かったようでした。演説の内容や真剣さによっては嫌米、反米の議員であっても少しは米国に理解を示すかもしれません。それが今回のようなおざなり演説では、逆に嫌米、反米の気持ちをより強くしてしまってもおかしくはないと思います。

政権交代なくして改革はない

それどころか、今回のブッシュ大統領の演説は、日本が米国に付いて来られないのなら付いて来なくてもいいよといったメッセージにすら受け取られるものでした。今、日本の国力は落ちてきていて、米国から見ると日本はどうなっても構わないということかもしれません。

この10年間、先進国の中では日本だけが唯一何の改革も行なってきませんでした。たとえば、外交機密費を巡る外務省の問題について、結局何も明らかにされていませんし、東証1部の株価時価総額も小泉政権が誕生してから170兆円以上も目減りしてしまっています。

政治はメッセージが重要です。そのメッセージによって、国民のやる気や経済のやる気が起きてくるのですが、これまで何も改革の結果が出ていないだけではなく、これから雇用保険料や健康保険料も上がっていくということですから、やる気を起こすどころか、それに水をかけるような逆のメッセージになっています。改革を進め、景気を回復していくためには、やはり政権交代しかありません。大島は政権交代に向けて全力で頑張っていくつもりです。