【国会レポート】テレビ報道はある面のみを強調して映している。注意して接するべし【2002年6号】

今年6月で私が衆議院議員になって丸2年が経ちました。この2年間、皆様から大きなご支援の後押しをいただき、私なりに一生懸命に活動してきました。例えば、国会での質問時間も700分を超えました。これは同期当選の議員に比べてもかなり長い方で、しかも事前の資料集めや取材などに、実際の質問時間に倍する時間と労力がかかっています。このような活動を積み重ねた結果、少しは政府法案の問題点を指摘できたのではないかと思っています。

この2年間のうち最初の1年は森喜朗首相、後の1年が小泉純一郎首相でした。森首相は人気がなかったため野党も攻めやすかったのですが、連立与党は森首相を支えようと頑張ったため、それなりにしぶとかったと言えます。一方、小泉首相の誕生は、国民から極めて大きな期待と支持を持って迎えられました。

それでも、私は、当時の週刊朝日のアンケートに、「しがらみを振り払う新しい枠組みの政権のみが「構造改革」を実行できる」(週刊朝日のみが「構造改革」を実行できる」2001年6月22日号)と答えたのでした。

何も変わらなかったこの1年

私は昨年KSD事件を追及し、今年も鈴木宗男代議士の疑惑解明のために沖縄へ調査に行きました。つまり、小泉政権の誕生後も、政治の本質は何も変わっていないということです。それどころか、去年の参院選で自民党の議席が維持されたため、日本の政治改革は2年後の次の参院選まで遅れてしまったと思います。私は最近、埼玉新聞のアンケートに次のように答えました。「罪深い内閣だ。成立直後の参院選挙で国民は国が変わるような高揚感のなかで1票を投じた。結果、自公保の過半数は維持されたが改革は進まなかった。政治不信だけが大きくなった1年だった。さらなる10年が失われようとしており、退陣すべきだ」(2002年5月4日、埼玉新聞)。

テレビ利用が巧みな小泉首相

さて、小泉首相の登場は、政治家とテレビの関係について改めて考えさせられるものでした。というのも、小泉首相の国会での実際の姿とテレビに出てくる姿とがかけ離れている、という印象があったからです。予算委員会での質疑や党首討論、本会議での答弁において小泉首相の発言は具体性に欠けて内容がありませんし、自分が不得意なところはすべて官僚の答弁書を読むだけという状態なのです。

ところが、夜、私が自宅に帰ってニュース番組を見ると、そこには、改革はできるかもしれないと私自身でさえ思うほど威勢のいい小泉首相の姿があったのです。

首相の記者会見は、予算が国会を通過したとき、衆議院が解散したとき、就任一周年といった節目を迎えたときなどに首相官邸で行なわれます。ただし、それ以外でも同行の総理番記者に対して首相がコメントを発することがあり、特に番記者が移動する首相に同行してコメントを聞くことは「ぶら下がり」と呼ばれています。

このぶら下がりは、特別な場合を除いてテレビカメラは入らないのが通例だったのですが、小泉首相になって必ずテレビカメラも入るようになりました。それによってテレビ画面への小泉首相の露出度が多くなり、国民に対して大きくアピールできるようになったのでした。一方、テレビの方もテレビカメラを重視する小泉首相の姿勢に好感を持ちますので、小泉首相の取り上げ方がどうしても好意的なものになっていったのは当然のことかもしれません。

感情を重視するテレビの手法

テレビについては、善し悪しはともかく、その特性を十分に知っておかなければならないでしょう。私の知り合いのテレビ報道関係者からこんな話を聞きました。「政治家へのインタビューは、新聞記者だと活字にしなければならないから質問も論理的になる。でも、テレビの記者の場合、人間の感情を画像として表現したいから、論理的な質問よりも、失礼な質問をぶつけて、まず怒らせようとする。狙い通り、実際に怒る政治家もいて、それを映像で流すのだが、テレビの記者はそのほうが視聴者に受けると思っている。」

テレビ報道を見て感じるのは、テレビとは視聴者が見たい画像を見せるメディアだということです。

政治家は覚悟をもって決断すべき

今回、私は健康保険法を改正する法案審議に携わっています。小泉首相は「抜本的な改革だ」と言っていますが、厚生労働大臣は、10年後、20年後を見据えたものではないという趣旨の回答を私の質問に対して行っています。

政治家は、世の中のために絶対に必要な政策だと思ったなら、自分の保身を考えることなくその実行に全力を尽くすべきでしょう。しかし、必要な政策が必ずしも国民に支持されるとは限りません。必要な政策を実行する過程が、支持を失なっていく過程になることもあるのです。例えば消費税の導入。ご存じのように、当時、かなり強い反対がありました。ある国会議員の話ですが、彼はそのとき三日三晩寝られないほど悩んで、結局、消費税導入に賛成しました。悩んだのは次の選挙で落選するかもしれないか我が身が危うくとも正しいと思ったらでした。政策を支持する。これが政治家本来の姿でしょう。当然ながら、抜本的な改革はそういう意気込みがなくては実現しません。たとえ首相の座から追われるようなことになっても、将来的にはそれが正しいと思えば実現に向けて行動すべきだということです。

しかし、最重要法案の一つとされる健保法改正案には、厚生大臣の経験のある小泉首相自身の思いと具体的な思想は殆ど反映されていません。これは役所が首相に従った振りをして作成・提出した法案なのです。そもそも今の時期に国民に負担を強いるこの法案は不安感を煽るだけで、将来へのビジョンに欠け、私は賛成できません。ある元首相は、首相になって実行すべき政策およびその実行プログラムを大学ノート何十冊分も詳細に書き記していたと言われています。「本質は細部に宿る。」本物の改革に向けて、改めて身を引き締めています。