【国会レポート】世界から日本を見つめよ政治の質は変化してきた【2002年7号】

6月下旬の2日間、サミット(主要国首脳会議)がカナダのカナナスキスで行なわれました。サミットは、フランスのジスカール・デスタン大統領(当時)の提唱によって1975年にパリ郊外のランブイエで第1回会議が開かれて以来、参加各国の持ち回りで毎年行なわれてきました。しかしその間、各国の官僚や取材陣がどんどん増えて規模は大きくなっていったものの、肝心の中身は、各国の官僚が事前に打ち合わせた「共同声明」を発表するだけの形骸化した場になっていったのです。

そこで今回は、クレティエン首相の「小規模でうち解けた雰囲気にし、腹を割った話し合いをしたい」という思いを反映して、ロッキー山脈の保養地カナナスキスで参加人数を制限した上で首脳同士の自由な議論を重視する形になりました。これまでサミットで慣例になっていた長文の「共同声明」に代えて「議長総括」を出したのもその表れです。

政治哲学を語るサミットへ

今回のこのような試みが成功したのかどうかはまだ分かりませんが、そこには、各国首脳の交流に重点が置かれてその政治哲学といったものを披瀝し合った第1回のランブイエ・サミットに立ち返ろうという姿勢は十分伺えます。

第1回サミットから今日まで、各国首脳が自国の製品を売り込む営業マンのようになった時期もありましたし、目先の経済の問題ばかりにとらわれていた時期もありました。しかし、冷戦が終わり、昨年9月にはアメリカで同時多発テロといった事態も起こり、もはや世界は国家間の利害調整だけではうまく動いていかない時代を迎えています。一方、NGO(非政府組織)やNPO(非営利組織)も国際関係のなかで大きな役割を果たすようになってきています。

日本という国はどうあるべきか

こうしたなかで、今改めて「国家とは何か」が問われているのは間違いありません。ただ、国家について考えるときに、大島は「日本という国はどうあるべきか」という日本一国のみから発想するような国のあり方であってはならないと思います。今求められているのは「世界が今こうであるから、日本はこうでなければいけない」という視点に立った国のあり方ではないでしょうか。

その場合、日本はこれまで大きく経済発展をしてきたから欧米の先進国と同じ環境状況にあると考えるのは一種の錯覚でしょう。私は、日本はアジアの一員なのだから、やはりアジアにおける日本という視点から日本のあり方について考えなければいけないと思います。

そこで、例えば中国に目を移すと、そこにはWTO(世界貿易機関)に加盟して貿易は自由化しましたが、国内では民主的な合意形成をしなくても都市開発ができるという国家体制があります。日本では都市開発をするときには民主的な手続きによって住民の合意形成をしなければならないので、それが完了するまでには10年、20年、あるいは30年もかかってしまいます。ところが、中国は、市民が住んでいる場所でもあっと言う間に更地にして高層ビルをどんどん建てることができます。それが経済発展の一つの原動力でもあるのです。

また労働者の問題にしても、中国は労働単価が非常に安いので、低廉な労働コストを求めて世界中から生産工場が集まってきます。日本の経済政策も、以上のような中国の状況を抜きにしては考えられないということです。

日韓に一体感を生んだワールドカップ

アジアの友好という意味では、今回のサッカーのワールドカップは非常に有意義な試みでした。大島も最初、ワールドカップが韓国との共催だと聞いたときには正直なところ、なぜ日本1国でできないのかと違和感を覚えたのですが、実際にワールドカップが開かれてみて、日韓の共催で本当によかったと思っています。

もともと韓国の国語であるハングルと日本語は同じ構造の言語なので、日本人がハングルを勉強する、あるいは韓国人が日本語を勉強するのは比較的楽なのです。ハングルは李朝第4代世宗(15世紀)が導入した人工的な言語なのですが、大島の妻も会社員の時代にハングルを楽しんで勉強していました。

日本と韓国とはこれまで、地理的にも言語的にも近いにもかかわらず、むしろ遠い国だったと言わざるを得ません。しかし、今回のワールドカップの共催によって日本と韓国との間に一体感が生まれました。日本はこれから他のアジアの国々とも同様の取り組みをしていくことが非常に重要だと思います。

ワールドカップを主宰しているのは国家ではなく、FIFA(国際サッカー連盟)という一種のNGOです。NGOなので特定の人間が利権にからみやすいといったマイナスの部分もありますが、NGOだからこそ国家の利害に関係なくワールドカップという世界的なイベントが実現できるのだと思います。

世界の中の日本ということを考えたとき、見、国内問題のように見えても実は世界と深く関わっているということが分かります。たとえば市町村合併。これを、3人の市長を1人にするといった合理化効率化の視点だけでとらえてはいけないでしょう。合併は、国や県を通さないで直接海外と産業振興等の話ができる行政規模の自治体を創るということでもあるのです。言い換えれば、独自で海外と交流・交渉ができる自治体の規模というものを考慮する必要があるのです。

みずみずしい若木が出てきている

そういう意味でも政治の質は確実に変わってきています。日本は島国であるために、陸続きで他国を意識せざるを得ないヨーロッパの国々とは違って、国際関係にはあまり神経を使ってきませんでした。さらに戦後になると日米安保体制というものがそれに拍車をかけました。そのため、国会議員ですら外交について疎くても何とかやってこられたのが今までの日本でした。

しかし、冷戦後の時代、NGO・NPOが国際的に活躍する時代になって、国際関係に疎いということはもはや許されなくなっています。最近、「巨木が朽ちて倒れようとしている時には、そのそばにはみずみずしい若木の芽が出る」という話を聞きました。私も、みずみずしい若木たらんと、国内政治はもちろんのこと国際政治の場にもこれから積極的に関わっていこうと思っています。