【国会レポート】「唯一の超大国」米国とどのように付き合うべきか【2003年4号】

3月20日に始まったイラク戦争は、大規模の戦闘についてはほぼ収束し、既に世界の関心は戦後体制に移ってきています。結果として、危惧されていた戦争の長期化・泥沼化については避けられたということになりそうですが、やはり「政治の最大の失敗は戦争」(大島敦著『人生転換』P168)であり、数多くの死傷者が今回も出てしまったことを忘れてはいけません。

ところで、20年以上も続いたフセイン政権が米国の圧倒的な軍事力・ハイテク兵器の前に1ヶ月程度で倒れたという現実を目の当たりにして、今後の世界秩序は米国を頂点とした一極構造になるというような意見が支持を得てきているように思えます。例えば、友人に薦められた『アメリカンショック』(ビジネス社)という本を昨年9月の出版直後に読みましたが、その中で、元タイ大使の岡崎久彦氏は「アングロサクソンに勝った国はない。パックスアメリカーナ(アメリカによる世界支配)の時代になる」と主張しています。

パックスアメリカーナにはならない

私はこの「パックスアメリカーナ」の実現性については否定的です。なぜなら、かつてのパックスロマーナ(ローマ帝国による支配)は多神教で多くの宗教、文化を許容できたために実現したと思うのですが、私の印象では、イスラム教やその文化に対して米国が十分な理解や配慮をしているようには感じられませんし、イスラム教徒やアラブ諸国に住む人達に米国の考え方や米国兵の存在自体が歓迎されているようにも思えません。

武力行使によってフセインという独裁者は排除されたものの、イラク国内はむしろ不安定化しています。だからといって新しい統治体制の確立を急ぐあまり米国主導で新政権のメンバーを決めてしまっては、また新たな紛争を呼ぶだけです。イラクの人達の様子を見ても、宗教的、民族的にいくつかに分かれる2300万人の国民の意思が統一されるには、やはり厳しい気候風土でメソポタミア文明以来何千年もの間育まれた文化や伝統を前提にしないと難しいのではないかなと思います。

振れ幅の大きい米国の対外政策

米国では新大統領が誕生すると、日本とは違って、政府高官は総入れ替えとなります。そのため、振れ幅の大きい振り子のように米国の対外政策が政権交代によって大きく変わることがあります。例えば、ブッシュ大統領になってから、京都議定書や国際刑事機構への取り組みは大幅に後退しました。また、パレスチナ問題への対応についても、ブッシュ大統領になってからは消極的になっています。簡単に言えば、米国の姿勢は、国際協調主義から一国主義、単独行動主義に移行しつつあるのです。大統領制と議院内閣制の違いや、政権交代の有無等、いくつかの理由があるからだと思いますが、対外政策の大幅な転換が頻繁に行われるというのは、日本の外交とは大きく違う点です。

ですから、今、米国の政策がどの程度振れているかを測り、将来的なより戻しを考慮しながら日本の対応を決めなければいけないと思います。また、極端な方向に振れそうになった場合、止めることは難しい場合でも振り幅を出来るだけ小さくするように努めるべきです。例えば、今回のイラク戦争の場合で言えば、日本は技術や経済の援助等を通じて中東諸国と友好関係を築いてきていた訳ですから、米英側と中東諸国をつなぐパイプ役あるいは調停的な役割を果たせなかったかと思います。

国際政治はガラス細工のようなもの

私は『人生転換』の中で「政治の使命は長い時間軸の中で戦争を起こさず、皆が幸福感を味わえるような生活環境をつくっていくことではないだろうか」と書きました。これを今の私の言葉で言い換えれば、国際政治に関与するにあたって、「日本があるべき国際社会の理想を掲げ、その理想実現のために今何をすべきか」というように理想のみを追い求めるのではなく「戦争状態に陥らないようにそれぞれの国の多様な思惑や利害を調整しながら、あるべき国際社会を実現するには日本はどうするべきか」というように考えることが必要だということです。

国際政治をガラス細工に喩えるとわかりやすいかと思います。つまり、国際政治(現実の国際社会)というガラス細工は一つしか存在しないにも拘らず、全く別の理想の形をしたガラス細工を追い求めることは、現実には存在し得ないものを追い求めることを意味します。そうではなく、現実の複雑なガラス細工が何とか壊れないように(つまり戦争にならないように)大切に扱いながら、少しずつその形を修正して理想の形のガラス細工に仕上げていく努力が必要だと思うのです。

イラク問題に話を戻せば、イラクの統治体制もガラス細工そのものです。その形を米国が無理に変えようとすると、ガラス細工そのものが壊れてしまう結果になってしまうでしょう。そうではなく、イラク人自身が理想の形のガラス細工に仕上げるのを手伝ったり後ろから支えたりするのが米国や日本といった諸外国の役割であり、単独先行しがちな米国の動きを補正する役割が、特に日本には求められているのではないでしょうか。