【国会レポート】国会議員の議員年金は一本化ではなく廃止すべし!!【2004年4号】

今国会では年金改革関連法案の審議が行われるため年金をめぐる議論が盛り上がってきています。関連して、小泉首相が「議員年金廃止」を言い出したために、年金改革関連法案以上ににわかに話題になってきているのが私たち国会議員の議員年金(国会議員互助年金制度)です。

議員年金が話題になる一番の理由は国民年金や厚生年金に比べて非常に優遇されているからですが、皆さんもこの議員年金には強いご関心を持っておられると思います。今回、議員年金についての自分の考え方を述べておくことにしました。

わずか3年で掛け金を取り戻す

国会議員の場合、議員年金の掛け金として毎月10万3000円が自分の歳費から天引きされています。在職が10年を超えれば、65歳から年額412万円(月額だと34万3333円)の議員年金がもらえるようになるのですが、さらに在職年が1年増えるごとに年金額が上積みされるのです。ちなみに在職20年では年額494万4000円35年では618万円、50年では741万6000円となります。

在職10年だと議員年金の掛け金の総額は1236万円ですから、年額412万円の議員年金をもらうとすると、わずか3年間で10年分の掛け金を取り戻すことになります。これほど優遇されている年金はほかには見あたりませんが、議員年金の原資は掛け金以外は国庫から支出されるのです。

では、在職が10年未満だとどうなるか。掛け金の総額の8割しか戻ってきませんし、金利も付きません。たとえば、在職9年だと掛け金の総額は1112万4000円ですが、戻ってくるのはその8割の889万9200円なのです。差額の222万4800円は国のものになります。

要するに議員年金では在職10年かどうかで受け取る金額に非常に大きな差がでてくるのです。支給額の多さに加えてこのような議員年金の仕組みもおかしい。私は基本的に議員年金は廃止すべきだと考えています。

議員は自分の既得権益からメスを入れよ

廃止については、まだ在職10年に達していない議員と、在職10年を超えた議員では、概して考え方に違いがあるようです。前者には廃止について賛成の人が多く、後者には反対の人が多い。

あるベテラン議員は「在職期間が40年、50年ときわめて長い議員は、払い込んだ金額よりもらえる金額のほうがずっと少ない。世論に迎合して安易に廃止を訴えている」という言い方で反発しています。議員も人間ですから、自分の置かれた立場にしばられて発言するというのも仕方のないことかもしれません(もちろん、そうでない人もいます)。

しかし、改革をしていく場合、やはりまず既得権を見直すということが必要です。“隗より始めよ”という言葉がありますが、議員も自分の既得権にしがみついていたのでは国民にとって必要な他の改革に取り組めません。

自営業者と同じ年金を利用する手もある

議員年金を廃止した場合、いろいろな考え方ができます。まず10万3000円の議員年金の掛け金が天引きされなくなるので、そのお金を全額、自分の政治活動に使うという議員もいるでしょう。また、議員を辞めてからの老後の生活に不安があれば、10万円を自分で毎月貯金して1000万円ほど貯まった段階で信託銀行や生命保険会社に預けて老後に年金という形で支給してもらうこともできます。

サラリーマンには基礎年金、厚生年金、企業年金という形で2階建て3階建ての年金制度がありますが、自営業者も国民年金のほかに2階建て部分にあたる国民年金基金や日本版401kという年金制度を利用できます。

国民年金基金と日本版401kでは6万8000円までの範囲で金額を選んで毎月の掛け金とすることができ、その掛け金の全額は社会保険料控除の対象になりますので、住民税や所得税も軽減されます。

このように自営業者と同様に議員も国民年金基金や日本版401kを利用することができるのですから、そうすることによって老後の備えは可能だということです。

ところで、我が党の中には「議員年金を国民年金や厚生年金と共に一本化しよう」という意見があります。しかし、私は、議員年金というのはむしろ退職金的な性格が強いものだから公的年金の一本化に含めることできない、と考えます。

泥沼化するイラク問題について

「国会リポート」ではこれまで何回か、アフガニスタン問題やイラク問題に言及してきました。昨年12月号ではイラクに関して「日本がアメリカの一方的な価値観に相乗りすることは疑問でした。ベトナム戦争のように泥沼化するのではないかと危惧しています」と私は述べましたが、イラク問題では、国会議員の中でもアメリカに住んだ経験のある人とヨーロッパや中東に住んだ経験のある人ではかなり考え方が違うようです。

つまり、アメリカから見たイラク戦争と、ヨーロッパや中東から見たイラク戦争についての認識の違いといったものが国会議員の考え方に反映しているということです。ドイツとフランスは最初からイラクが泥沼化するのが見えていたので、アメリカが始めたイラク戦争には参加しなかったのではないでしょうか。イギリスもヨーロッパですからやはり泥沼化は見えてはいたものの、アメリカと切るに切れない関係であるため、仕方なくイラク戦争に参加したのでしょう。日本も戦争の本質について文明論的にしっかりと認識した上で自衛隊を派遣しないと禍根を残すと思います。

イラク問題では国連の枠組みの中で解決しようという動きが出てきていますが、その場合でも各国の利権を前面に出すと長い歴史を持った優秀なイラク国民にそれを見透かされて失敗するでしょう。

我が国としては国連の枠組みの中でどのタイミングになったら自衛隊を引き上げるのかを詳細に詰めて明確におかなければなりません。そうでないと派遣が長期に及ぶ恐れがあります。

ところで今回、日本人3人が危険を顧みずイラクに入って武装勢力に捕まり、結局、何とか解放されたわけですが、アメリカのパウエル国務長官は3人の解放が報道された後、日本のTBS記者に対してこう発言しています。

「誰もリスクを引き受けなかったら、世界は前に進みません。私は、日本の市民が自ら進んで良い目的のために身を挺したことをうれしく思いますし、日本の皆さんはそういう行動をした市民がいることを誇りに思うべきです。イラクに自衛隊を送ったことも誇りに思うべきです。彼らは自ら危険を引き受けているのです」

要するに、パウエル長官には、ボランティア活動等のために危険を冒してイラク入りした日本人3人の行動は、イラクのために命懸けで出兵していると自負するアメリカ自身の行動と同じだと映ったのです。しかも皮肉なことですが、パウエル国務長官の発言にもあるように、国際社会では日本人3人の行動とイラクへの自衛隊派兵は同じ論理の中で認識されているのです。

ともあれ、政府は、危険にさらされた日本人を、たとえ主義主張が違っていても日本国民である以上救うべきものなのです。私が政府に入ってもその考えは変えるつもりはありません。