【国会レポート】インターネットで変わる教育のあり方を見つめ直す【2013年12号】
私自身がインターネットと出会ったのは、1994年、会社の情報システム部にいたときです。当時、インターネットは出現したばかり。日本で初めてのインターネット展示会(インターロップ)が開かれたので私も出かけて行ったのですが、そこでインターネットを目の当たりにして、「これは世界を変えるメディア(技術)だ」と直感したのを今でもよく覚えています。さっそく会社に自分のパソコン(マッキントッシュ)を持ち込んで、先輩の技術系社員に頼んでインターネットにつないでもらいました。以後、特に仕事の分野では世界的にものすごい勢いでインターネットの活用が進んでいったのです。
誰でも映像を世界に発信できる時代
臨時国会が終わった2013年末、個人的な時間が多少できたのでたまたまパソコンでユーチューブを観たら神奈川県庁制作による映像が流されていました(アップされていました)。この映像ではアイドルグループAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」という曲に合わせて県庁職員、県民の方が踊っているのですが、神奈川県知事の黒岩祐治氏自身も映像のなかで踊っていました。黒岩知事は私の大学時代の先輩ですので、観た感想をメールで送ったところ、すぐに黒岩知事から「ありがとう。300万PV(視聴者の数)を超えました」という返信がありました。ユーチューブでは個人で制作した映像を世界中の人々に見てもらえるわけで、それを可能にしたのがインターネットにほかなりません。
ユーチューブは勉強の面でも活用されています。各国語の優れた語学番組が無料で提供されており、語学を勉強したい人はいつでもそれを観ることができるのです。
スカイプで急落した語学学習コスト
語学学習については、スカイプ(インターネットを通じた無料のテレビ電話)を使った学習方法の急速な普及が挙げられるでしょう。スカイプでの語学学習では、直接海外の講師の方から割安に授業を受けることができるので日本国内の語学学校で学ぶよりも生徒が払う費用もかなり安くなります。しかも授業は先生と生徒とのマンツーマンですし、スカイプですからもちろん通信費用はかかりません。
この実例が大学時代の友人の次男A君です。スカイプで最初の1年間中国語の授業を受け、それを終えて今では英語の授業を受けています。A君はもともとパソコンゲームのプロのゲーマーを目指していたのですが、3年ほど前に中国・武漢での国際ゲーム大会に出場したときに、世界中のゲーマーや現地の人たちと交流する機会がありました。そのときに英語および中国語を身に付けたいと強く思ったのがきっかけで、まず中国語からスカイプによる授業を受けることにしたのでした。それを1年ほど続けてある程度、中国語が話せるようになった後、今度は台湾に行って3ヵ月間現地の語学学校で中国語の勉強をしました。台湾から帰ってきて、スカイプでの語学の授業を英語に切り替えて、以後、今まで2ヵ月ほど続けています。
以上のスカイプによる中国語と英語の授業はいずれもマンツーマンであり、中国語の先生は中国東北部の中国人学生、英語の先生はフィリピン人です。授業は会話が中心とはいえ、希望すれば先生が文章の添削をしてくれますので、話すばかりか書く力も向上させることができます。
A君の場合、授業料は中国語が1ヵ月(毎日1回25分)で6000円程度、英語が同(毎日1回50分)9000円程度。1ヵ月の授業料ですから1ヵ月間毎日受けても1日しか受けなくても同額なのですが、本当に語学を勉強したい者にとっては費用対効果が高いのではないでしょうか。
教室での語学の授業では1人の先生が多くの生徒を相手にするわけですが、スカイプではマンツーマンであるうえに教室に通うよりも格安です。もはやスカイプによって自宅留学が実現しているともいえるでしょう。
やる気とコミュニケーション能力が大事に
今はインターネットによって勉強のコストが下がってきました。これは何も語学だけに限りません。すでにアメリカの大学ではインターネットで無料の授業を世界に公開しており、勉強したい人はその授業をいつでも観ることができるのです。無料の授業をインターネット上で公開する動きは日本の大学でも出てきました。
以上のようにインターネットよって格安あるいは無料の授業が受けられ、大量の知識も得られるようになってくると、どうしても既存の学校教育に対して疑問が出てくるのは仕方がありません。たとえば私立大学では今、理工学部系を除いた文系学部でも4年間の総学費は450万円~600万円もかかります。その学費に見合う費用対効果が得られるかどうかが強く問われるようになってきました。
一方、インターネットによって安い費用で勉強ができる環境が整ってくると、すべての人に大きなチャンスが生まれてきます。そこでは勉強の費用よりも勉強への意欲が大事になってくるのですが、同時に相手の気持ちを推し量りながら交流するというコミュニケーション能力が求められるようになるのです。
したがって、政治においても、いかに勉強への意欲を高め、コミュニケーション能力を培うかという観点からの教育を推し進めていかなければなりません。