【国会レポート】政党が長期間持続するためにはどんなことが必要なのか?【2013年11号】

例年、政党交付金が支給される関係から年末になると新しい政党を立ち上げる動きが出てきます。私の所属している民主党は1998年の結成ですが、そのとき以来、日本の政党で存続しているのは民主党のほかに自民党、公明党、共産党、社民党の合計5党しかありません。1つの政党を長期間、維持・持続させていくのは大変なのです。まず、この政党運営のことにふれる前に私が国会議員になった経緯を改めてご紹介しておきましょう。

通勤中に偶然目にした民主党の公募記事

大学卒業後、日本鋼管(現在のJFEスチール)に入社し、14年間製造業の社員として働いた後、38歳でソニー生命に転職しました。

この生保会社は新宿にあったので実家のある北本から新宿まで電車で毎日通勤していたのですが、今から15年ほど前の1999年春のある日、偶然、政治面の下のほうに「民主党が候補者を公募している」という小さな記事が目に留まりました。それを読んで、これも何かの縁かもしれないし、候補者公募を通して今の自分がどう評価されるのか知りたいとも思って、応募することにしたのです。

課題の小論文を送ったのは3月31日の締切日ぎりぎりになってからでしたが、当時は日本経済にもまだバブル後遺症が残っており、多くの企業がリストラを進めていました。サラリーマンには大変な時代だったのです。そんな社会状況もあって私が書いた小論文も「雇用対策」がテーマでした。

サラリーマンの貴重な経験を持って政界に

小論文による書類選考で564人の応募者中100人の合格者に残りました。国会議員による面接でも合格し、最終的な公募合格者50人のなかに入ることができたのです。この50人は候補者として一定の水準を満たしているという事です。同年6月頃、埼玉県選出の参議院議員から直接、「埼玉県から衆議院選挙に立候補する気があれば面接に来ませんか」という電話を頂き、それで指定の日時に面接会場に行きました。地方議員の皆さんの面接を受けた結果、4人の候補者のうちで選ばれたのが私でした。

そして翌2000年6月、民主党公認候補として衆議院総選挙に立候補し、43歳の初挑戦で衆議院議員になることができたのです。この選挙では17人の民主党公募候補が立候補したのですが、当選したのは私も含めて3人でした。以後5回の総選挙を経て同じ3人のなかで衆議院議員として残っているのは私だけになっています。

あのとき、偶然、公募の新聞記事を読んでいなければ、おそらくそのままサラリーマン生活を続けていたでしょう。衆議院議員になるまで私は製造業で14年間、保険会社で5年間、サラリーマンとして勤めたことになります。国会を見渡してみても私のような長いサラリーマン経験を持つ議員はほとんど見当たりません。

個性的な議員を束ねるための信頼関係

私は公募というシステムによって政治の世界に入ることになりましたが、そもそも普通に暮らしているほとんどの方は政治家になろうとは思わないでしょう。したがって政治家を目指すのは自己主張が極めて強い一方で世の中を良くしたいという改革のエネルギーを持った人だと思います。言い換えれば、組織のなかで仕事をすることが窮屈に感じられるような人が政治家を目指すということです。実際に議員になっているのもそのような人たちであり、しかも議員の仕事はまさに自分の信念を主張することにほかなりません。そんな議員の集団をまとめていこうというのですから、政党が議員を束ねるのはものすごく大変です。

もっとも、政党にも成長の過程というものがあります。発足したばかりの新政党は個人商店のようなものです。創業者の大活躍で事業を拡大させていくと、それに応じて規模も大きくなっていきます。となると今度は個人商店から組織で動く企業へと変わっていく必要があって、幹部となる人材を増やし、次代の経営を担う後継者も育てておかなければなりません。それらがうまくいけば個人商店から上場企業(政権を狙える政党)へと成長を遂げていくことができるのです。

政党が育つためには数々の試練を積み重ねながら互いの信頼関係を深め、個性的な議員を束ねる知恵を蓄えて行く必要があります。そうした政党同士が切磋琢磨し、国民の信託を得て国政を担うようになります。

相反する考えを忍耐強くまとめ上げる

さて、もはや共産主義か資本主義かというようなイデオロギーの時代ではありません。我が国の運営に関しても政党によって根本的な違いはなくなっています。政党内にはさまざまな個性や能力の人材が豊富にいたほうが望ましいのではないでしょうか。多様な立場の意見を議論し汲み上げることで多角的な論点が整理されて、政策も安定したものになります。政党にとって必要なのは、相反する考えを忍耐強くまとめ上げる社風ではないかと思うのです。なお、私が他党も含めて政治家間の合意形成を図る際には会社生活で培われた本音を見抜く能力と忍耐力が大いに助けとなっており、かつてサラリーマンとして仕事ができたことにいつも感謝しています。