【国会レポート】自由な資本市場は意外と社会的コストが重い【2006年6号】
ライブドア事件に続いて村上ファンド事件が起こり、再び日本の金融・株式分野が大きく揺れています。両事件とも金融・株式分野の中の法的に十分整備されていないところで発生した事件でした。
たとえば、ライブドアは証券取引所が開いていない時間に時間外取引でニッポン放送の株式を大量に取得しました。ニッポン放送の経営権を得ようとしてあまりに露骨に時間外取引を行ったことが批判の対象になったのですが、もともと時間外取引に関しては違法ではありません。法的な規制が不十分だったのです。
小泉政権は誕生以来、金融の自由化と企業間の競争を促進する政策を強く推進してきました。インターネットによる株式取引の拡大も手伝って、金融・株式分野の裾野はどんどん広がってきたものの、一方で法的な面での対応が大きく後れてしまい、そこに法の不整備につけ込む事件を生む土壌ができてしまったわけです。
莫大なコストをかけている米証券取引委員会
この問題はもっと大所高所から見ると、日本はどのような社会を目指すのかということにつながっていますが、現政府は「アメリカのように企業や投資家に対して最大限自由な活動を認め、事後的にチェックするという社会」を目指しています。
このアメリカ流の資本主義では、金融・株式分野でどんどん新しい事態が起こってきますので、つねに日々新しいルールをつくり、かつそのルールに企業や投資家が反しないようにしっかり監視していく必要があります。監視のために「米証券取引委員会」という組織があるのですが、職員は約3900人にも達しています。自由にさせて事後的にチェックするというのは非常に大きなコストがかかるのです。
日本にも米証券取引委員会に似た役割を持つ「証券取引等監視委員会」があって、職員数は1993年には84人だったものが1999年106人、2002年182人へと増え、現在は300人強の陣容になっています。それでもライブドア事件、村上ファンド事件が起こってから、さらに職員数を増やせとの意見も出てきました。しかし、証券取引等監視委員会をアメリカ並みの組織にしようとすれば莫大なコストがかかるだけではなく、行革の流れにも逆行することになります。
事前のチェックと事後のチェックの違い
公益法人とは社団法人や財団法人のことですが、今国会では私も審議に加わった公益法人改革の法律が通りました。この法律でどう変わるかと言えば、社団法人や財団法人を設立する場合、これまでは国や都道府県の認可が必要でした。それが届け出をするだけで誰でも設立できるようになります。
私たちが社団法人や財団法人と付き合うとき、従来は「国や都道府県に認可されているのだからおかしなことはしないだろう」という一種の安心感がありましたが、届け出制になるとそうもいきません。それぞれの社団法人や財団法人がしっかりしているかどうかを、まず自分で情報を集め判断しなければなりません。何かトラブルになったら裁判に訴えて解決するケースも出てきます。自由に社団法人や財団法人を設立でき民間活力を引き出せる半面、関係者の自己責任が求められます。
つまり、認可制が事前のチェックだとすれば届け出制は事後のチェックであり、事後のチェックには社会的なコストがかかるのです。
日本の金融・株式分野についても、今後、米証券取引委員会のように証券取引等監視委員会に捜査権限を持たせて公平に個々の事例すべてに対応していくかどうかは、その場合には財政負担が発生しますから、議論を深めてきちんとした結論を出す必要があります。
無駄なコストをかけると豊かさの維持は無理
そもそもアメリカは食糧やその他の資源を自給自足しようとすればできる資源大国ですから大きなコストをかけてもやっていけます。コストに見合う資源を自分で持っているわけですが、日本はそうではありません。監視や規制に莫大なコストをかけてしまうと、たちまち立ち行かなくなってしまいます。
弁護士の費用、警備会社のセキュリティシステムの費用といったものは、出来れば掛けたくない費用とも見なせます。日本の社会ではこうしたコストをあまりかけると豊かさを維持できないと私は考えています。
アメリカではトラブルが起こればすぐに裁判を起こして当事者同士が戦うのが普通ですが、裏を返せば、裁判というコストをかけても社会が維持できるだけの豊かさがあるということです。日本ではこれまで、裁判にかける前にまず当事者で話し合って解決していこうというやり方を採ってきました。コストをかけずに争いを解決するというのは、従来は日本の知恵でもあったと思います。
私は、規制を取り払い自由に活動していただくことで民間活力を引き出すメリットと事後チェックに掛かる社会的負担増を最適にバランスさせることを念頭に審議や法律づくりに臨んでいます。
幹部としての自覚が大切
ところで最近、日銀の福井俊彦総裁が村上ファンドに1000万円を出資して1400万円を上回る配当を得ていたという事実が表面化しました。
日銀総裁と言えば、日本の金融行政の総元締めという立場であって、その人が民間のファンドに出資を続けていたということになると、大きな不信を招き、日銀の金融行政自体の公平性にも疑いがもたれてしまいます。
福井氏は人格も優れ、能力も高いと評価されている方なのですが、「瓜田に履(くつ)を納(い)れず」とか「李下に冠を正さず」という故事もあるように、高い地位にある人は人から疑われるような行動はすべきではありません。
今回の福井氏の場合、目下、日銀幹部の服務規定をつくるかどうかという議論になっていますが、中間管理職ならともかく、幹部であれば服務規定の有無にかかわらず自分で自分を律しなければならないと思います。