【国会レポート】雇用への安心感を確保していく必要がある【2007年2号】
バブル崩壊後、不況に陥った日本経済も最近になってようやく復調の兆しを見せてきました。しかしこの間、多くの企業がリストラを行い弱肉強食的な米国流の市場経済システムも広がってきました。一方で、今年からは「2007年間題」とも呼ばれるような団塊の世代の大量退職が始まります。
こうした動きによって最も影響を受けるのが雇用です。そこで今回は日本の雇用について述べてみたいと思います。
社長と新入社員との信じられない給与格差
昨年12月、連結決算の利益水増し問題で日興コーディアルグループの社長と会長が引責辞任したという出来事がありました。同社の経営陣は業績に連動して報酬を得ることになっており、辞任した社長は年間3億円もの報酬を受け取っていました。
業績と連動しているために経営陣自身が故意に利益を水増ししたのではないかとの疑いがかけられているわけですが、それはともかく、私が何より驚いたのは歴史ある日本の企業であるにもかかわらず、社長が年間3億円という多額の報酬を受け取っていたということです。
私が新社会人となった1981年当時、日本の企業では新入社員と社長との年収の差は10倍前後記憶しています。新入社員の年収が300万円だとすると社長は3000万円程度だったのです。ところが、この日興コーディアルの場合、社長の年収は社員の数十倍だということになります。ます。
もちろん米国の企業では以前から、業績に連動して経営陣が社員の100倍くらいの報酬をもらうというのは珍しくありません。日本の企業社会もそうした米国流のやり方が浸透してきたために、日興コーディアルのように米国の企業のような業績連動型の報酬に切り替える企業も出てきたのでしょう。
経営陣の報酬を米国流に変えていいのか
しかし、経営陣と従業員との給与格差が小さな日本の企業の中で入社以来働いてきた人が、経営陣に入っていきなり業績に連動した給与体系を採用してしまってもいいのでしょうか。私は大きな違和感を感じます。というのも、日本の企業でその人が経営陣に入ることができたのは、本人の力だけではなく他の多くの社員たちの協力があったはずだからです。
経営陣だけが多額の報酬をもらえるというのは、それまで一緒に働いてきた人たちをないがしろにした考え方ではないでしょうか。
これまで日本の経済成長を支えてきたのが雇用への安心感です。これこそ日本的な企業文化と言ってもいいかもしれません。日本の企業の場合、雇用への安心感が失われると、従業員の志気が低下していきます。
それで最近、流通関係の企業を中心として契約社員やパート社員、アルバイト社員を正社員として雇用するという動きが強くなってきています。これは、正社員化による雇用への安心感がもたらす業績へのプラス効果を評価したからではないでしょうか。
1990年代、不況の中にあって企業がリストラを行っていたときも、私は、団塊の世代の定年退職で労働力が足りなくなるから雇用環境は改善されていくのではないかと予想していました。正社員化の動きもその予想の範囲だと言えます。
簡単に開業できる派遣会社の問題点とは
とはいえ、派遣社員制度を物づくりなどへと広げてきたために、新しい雇用形態が広がってきているのも確かで、これには解決すべき問題が残っていると思います。派遣社員というと、派遣会社の華やかなコマーシャルに象徴されるように洗練された働き方だという印象がありますが、実態はそうとばかりはいえません。
最近、49歳の私の友人が仕事に就くための一つの手段として派遣社員になったのですが、そのときにおびただしい数の小さな派遣会社があるということに気が付いたのでした。そのような派遣会社というのは、新聞折込みなどで求人広告を出してできるだけ多くの登録者を集め、派遣先企業の要望に応じて登録者を斡旋するというのが仕事です。
つまり、派遣会社は事務所と電話さえあればそれほど元手をかけずに開業でき、登録者を集めて派遣先企業に紹介するだけで簡単に利益を上げられます。雨後の竹の子のように急増してきたのも当然でしょう。言い換えれば、派遣会社自体は何のリスクも負わず、ただ登録者を増やして派遣するだけで儲けられるということです。
登録者のほうは派遣先企業が決まるまでもちろん無収入ですし、社会保険の適用も受けられません。となると、前述したような雇用への安心感がほとんど得られないだけでなく、その上に大きなリスクを負っているということになります。
以上のような派遣会社と登録者とのリスクの格差はやはり解消する必要があるでしょう。派遣会社も登録者を集めた時点で、その登録者にある程度の報酬を保証するようなシステムに変えていかなければならないでしょう。あるいは、派遣期間が延べ1年を超えたら派遣会社が登録者を正社員として雇った上で派遣するということも考えられるでしょう。
生き方のモデルがなくなっている子供たち
以前、『見捨てられた高校生たち』という本を紹介しましたが、先日、その著者の朝比奈なをさんとお会いする機会がありました。父親がリストラされると、父親自身が自信を失ってしまい、子供に勉強をしろとも言えず、子供としてもどうしていいか分からなくなる、生徒は生き方のモデルを見出せなくなってしまう、ということでした。私が会社に勤め始めたころ、課長を見れば、どのような将来が待っているか予測できたものです。課長が自分の将来の一つのモデルだったので、安心して働くことができたのでした。
いずれにせよ、雇用のあり方というのはその子供にも大きな影響を及ぼします。したがって、日本の将来のためにしっかりした雇用を確保していく努力が欠かせません、私もそのために現在、雇用政策の立法化に全力で取り組んでいます。