【国会レポート】日米同盟関係の維持にも普段の親密な交流が欠かせない【2007年7号】

7月29日に投開票が行われた参院選において民主党は埼玉県で2議席を確保しました。これは何より県民の皆様の見識の賜です。誠にありがとうございました。参院選全体でも民主党は改選議席を32議席から60議席へと大きく伸ばし、非改選議席と合わせて109議席に達しました。参議院の定数は242議席なので過半数は122議席です。民主党単独では過半数に届かないものの、野党全体では137議席となって、与党の105議席を大きく上回りました。

今回の参院選で民主党が伸びた要因の一つに農業政策があると思います。定数1人の29選挙区のうち23選挙区で民主党を中心とする野党が勝ちました。1人区は農業人口の割合が比較的高い地方が多いので、農業政策についてこれまで与党が関心を払ってこなかったのに対し、民主党が農業を政策の中心に据えたことが共感を呼んだのではないでしょうか。

参議院の与野党逆転と国政調査権

参議院で与野党の議席が逆転したことによって、最大会派となった民主党は参議院議長と議院運営委員長という重要ポストを得て参議院運営の主導権を握りましたし、「国政調査権」も発動できるようになりました。憲法第62条で規定された国政調査権は、「国の行為一般」についての幅広く強力な調査権限で、衆議院と参議院にそれぞれ認められています。

国政調査権の発動は国会の議決によるため、過半数の議席を持っている会派・勢力の意向が反映します。国政調査権で一般にもよく知られているのが国会への「証人喚問」ですが、たとえば、政治資金で不正を行っている疑いのある議員を野党がいくら証人喚問しようとしても、与党の賛成がないと証人喚問は実現しません。しかし、今回の選挙後の参議院のように与野党の議席が逆転すると、野党が求める証人喚問も実現できるようになり、与野党共に緊張感が生まれることになります。

現在問題になっている年金についても、これまではいくら野党が詳しい情報を求めても政府の情報開示は実現しませんでしたが、今後は国政調査権が発動されれば、いくら政府・与党が反対しても情報を開示しなければなりません。

きちんとした政策を実施するためにはその裏付けとなる正しい情報が不可欠です。年金制度改革はもちろんのこと、テロ特措法(テロ対策特別措置法)でも、まず政府に正しい情報の開示を求めていきます。必要とあれば、国政調査権を発動するという状況も出てくるでしょう。

テロ特措法は、2001年9月11日の同時多発テロ事件を受けて同年11月に施行されたもので、米国などがアフガニスタン等で対テロ戦争の一環として行う攻撃や侵攻を援助(後方支援)することについて定めた法律です。これに基づき、わが国は海上自衛隊をインド洋(公海)に派遣し、護衛艦(イージス艦)によるレーダー支援や、補給艦による米海軍艦艇などへの給油活動を行ってきました。

ただし、テロ特措法は2年間だけ効力があるという時限立法だったため、2003年10月に2年間、2005年に1年間、2006年にも1年間の延長が行われてきました。そして今年11月にもまた期限が切れるので、国会ではこのテロ特措法をさらに延長すべきかどうかが大きな焦点になっています。

初めて民主党本部にやって来た米国駐日大使

民主党の小沢一郎代表はテロ特措法延長に反対の立場です。そのため、参議院で野党が過半数を取った後の8月8日、米国のジョン・トーマス・シーファー駐日大使は民主党本部を初めて訪れて、延長への賛成を小沢代表に申し入れました。これに対し、小沢代表は「直接的に国連から承認されていないので、残念ながら米国を中心とした活動には参加できない」と伝え、従来からの見解を変えませんでした。

そこでこの会談の後、シーファー大使は、「テロとの戦いは、日本でも党派を超えて取り組むべき問題であり、政争の具にすべきではない」(NHKのインタービュー)、「9月頃に、関心を持つ全国会議員を対象に米大使館で機密情報に関する複数回の説明会を計画している」(朝日新聞のインタビュー)と述べているのですが、前者の発言は踏込み過ぎだと思いますし、後者は選挙で選ばれた国会議員を米大使館まで呼び寄せるわけで、やはり違和感が拭えません。

シーファー大使は、企業の顧問弁護士を経て実業家となり、ブッシュ大統領の知遇を得て、駐オーストラリア大使に任命され、2005年4月から駐日大使となったという経歴の持ち主です。実業家出身ですから、できるだけ効率的に目標に到達することに慣れているために微妙な政治のニュアンスに疎いのかもしれません。

政治には人間同士の信頼関係が重要だ

『岸信介証言録』(毎日新聞社)にはこんなエピソードが載っています。

1960年の大統領選でニクソンがケネディに敗れて不遇をかこっていたとき、首相を退任したばかりの岸信介氏は、ニクソンを日本に招いて手厚く遇しました。その後、ニクソンが米大統領に就いていた1969年に岸氏はワシントンのニクソンを表敬訪問したのですが、ニクソンの机には決裁書類が山積しており、沖縄返還の書類はその山の下のほうにあったのです。そこで、岸氏は「この秋には弟(当時首相だった佐藤栄作氏)がくるからよろしく頼む」と沖縄返還の書類をもっと上にしてくれるように求めました。その結果、早くも同年11月の佐藤・ニクソン会談で1972年の沖縄返還の合意が実現したのでした。

結局、政治は人間同士の信頼関係が非常に重要だということなのです。その信頼関係は普段から醸成しておかなくてはなりません。政治や外交に携わる者は、諸外国の政治家と付き合うときには普段から与党に気を配ると共に野党にも一定の配慮が必要だと今回気付かされました。

テロ特措法に戻れば、判断に必要な情報の開示を求めた上で、私としては、テロ特措法による日本の支援活動が本当に国際貢献になっているか、ヨーロッパや中東、アジアの国々の意見を探ってから、一定の判断を下していきたいと考えています。