【国会レポート】好景気でも雇用の増えない時代 高度な仕事能力の養成が不可欠【2013年7号】
今回は情報化社会における雇用について述べてみます。情報化社会とは、ITテクノロジーの発達によって遠距離間の人間同士のコミュニケーションが簡便にかつ低コストでできるようになった社会です。たとえばスカイプという一種のテレビ電話が世界中で使われるようになっていますが、この利用料金は何と無料なのです。同様にスマートフォンでも国際電話を無料で使える機能も出ています。
なぜそんなことができるのでしょうか。去る7月5日、ダグラス・エンゲルバートという人物が享年88歳で亡くなりました。
エンゲルバートはコンピューター業界ではパソコンのマウスの発明者として有名なのですが、「パソコンの基礎技術をつくった最大の貢献者」ともされています。エンゲルバートがマウスを実用化したのは1968年でした。この頃にはパソコンやインターネットの基本となる考え方もすでに生まれていたのです。以後20~30年かかって誰でもパソコンやインターネットを日常的に利用できるようになりました。携帯電話も普及し、今では携帯にパソコンの機能を加えたスマホも一般的な情報機器になっています。こうした情報機器を支えているのがITテクノロジーで、これはアメリカの半導体メーカーであるインテル社の創業者ゴードン・ムーアが1965年に提唱した「ムーアの法則(半導体の集積密度は18~24ヵ月で倍増する)」に従って発達してきたと言われています。しかも同時に半導体の価格は集積密度が高まるのと反比例して下がってきました。これが情報機器の利用料金の低下につながり、無料のサービスも生み出したのです。
従来の政治家の常識が覆った情報化社会
パソコンやスマホが普及した結果、一般の生活で急速に伸びてきたのがインターネット通販でした。衣食住関連商品はもとより映画やコンサート、ディズニーランドのチケットまでネットで注文する人がどんどん増えてきたのです。一方、受注する側もネットであれば情報システムを中心に投資すればよく、そのお陰で人員のほうはあまり増やさなくて済むようになってきました。
1990年代なら通販といっても電話やFAXによる受注が中心でしたので、通販が伸びていくと電話を受ける社員や発注書を記す社員などの人員も増やさなければなりませんでした。以前なら受注増に応じて雇う人員の数も増えていったわけですが、今のような情報化社会となると受注増がそのまま人員増にはつながらなくなったのです。
従来、政治家は「景気が良くなると雇用や賃金が増える」という常識の下でつねに景気が良くなるような経済政策を考えてきましたが、もはやその常識は覆ってしまいました。
情報化社会では景気が良くなってもそれがそのまま雇用や賃金増につながらないという顕著な例には、小泉政権(2001年4月~2006年9月)時代の後期があります。このときには確かに景気は良くなりました。しかし正規から非正規に雇用形態が変わり賃金は増えませんでした。
また以前には、豊かな者がより豊かになることで全体の所得も底上げされるという考え方も根強くありました。これもあくまでも情報化社会ではなかった20世紀型の発想です。インターネットをはじめとする情報通信ネットワークで結ばれている現代は、そのネットワークを通じて瞬時に取り引きがなされ、しかも相対的に人員を雇わないで済む企業ほど儲かるようになってきています。つまり、人を多く雇う企業と雇わなくてもいい企業との間では収益面での格差が出てきてしまうということです。人を雇わないで済む企業ほど収益が上がるというのは、政治にとっては頭の痛い問題と言えます。
単純労働ではなく高度な仕事の能力が必要
ただし今後、日本の15歳以上64歳までの生産年齢人口は減っていきます。40年後には今の約8000万人が約4000万人へと半減するという予想も出ているのです。とすれば、政治としては雇用増に力を入れるのは当然なのですが、国民全体が受け取る賃金の総額を増やすことも非常に大切になってきます。まして日本国は1000兆円を超える莫大な借金を抱えているのですから、賃金が上がらないまま生産年齢人口が減っていったのでは税収も減ってしまい国の借金が返せなくなって財政破綻に追い込まれる危険性すらあるのです。したがって、これらから10~15年後までの政治の大きな目標の1つは、国民全体が受け取る賃金の総額を増やしていくということになるでしょう。
では、どのようにして賃金の総額を増やしていくのか。やはり日本国内の労働の生産性なり付加価値を今よりも引き上げるほかはありません。単純労働だけをしていたら、新興国や発展途上国の賃金の安いところに仕事を取られてしまいます。となると、単純労働ではない付加価値の大きい高度な仕事の能力をできるだけ多くの日本人が身に付ける必要があるのです。そのためには投資が欠かせませんが、それについてはまず高等教育への投資を見直す必要があるでしょう。
高等教育の費用対効果を考えて投資する
2012年度に国から大学に投じられたお金は国立大学に1兆0604億円、私立大学には3002億円でした。毎年1兆4000億円近い税金がわが国の高等教育に投じられています。それで学生は大学で高度な仕事の能力を本当に身につけているでしょうか。医学部や工学部など専門技能に直結する学部を除くと、大学での授業内容と高度な職業能力の養成が結び付いているのは少数派でしょう。学術的な研究はもちろん大切です。他面で、論理的な思考力を磨き、仕事に役立つ高度な能力を培うために、政治としても高等教育の内容を再考していかなければならないと思います。
さらに大学を卒業した後も仕事の能力を高めるためには継続した職業教育が必要です。それには私が実現した求職者支援制度も有力な機会となるでしょう。その中身を拡充していかなければなりません。いずれにしても、私たちが今生きている情報化社会は教育の内容が強く問われる社会でもあり、社会を支える人材の養成に税金を効果的に投入すべきです。