【国会レポート】新しい時代に必要な政治と官僚制度の緊張関係【2009年6号】

昨年の国際金融の混乱、原油や穀物価格の高騰などは時代の転換期を象徴する出来事でもありました。しかし、現政権はこの転換期にうまく対応できなくなっています。政権と共に歩んできた官僚機構も同様です。今、政治と官僚機構との関係のあり方が強く問われており、今回はこの点について述べてみたいと思います。

現在の首相は国会で「官僚を使いこなす」とよく答弁しているのですが、そもそも人は使いこなす道具ではないので、私はその表現に違和感を覚えます。政治の役目とは、国民への奉仕という官僚本来の仕事をきちんとやってもらうようにすることです。むしろ「仕事の役割分担」という表現がふさわしいでしょう。

官僚は国民のために仕事をするわけですが、その内容は時代によって変わります。ただし、そこには政策の方向性を決めるのは政治という大前提がなければなりません。なぜこの自明のことを力説しなければならないかというと、現実には今の政治が政策の方向性を決めているとはいい難いからです。

政治と官僚との「一体化」の中身が変化した

先日、ある省庁の有力な官僚と話したときに彼は「これまで日本では与党と官僚機構が一体化して政策を実現してきました」といっていました。注意しなければならないのは「一体化」の中身です。

戦後、日本は独立を果たして以来、政権を支える与党が政策の大きな枠組みを考えそれを実行してきました。たとえば池田勇人の「所得倍増政策」のように国の将来の具体的なあり方を示し、それを大きな方針として政策を推進してきたのです。

ところが、しだいに政権政党が政策全体を官僚に委ねようになっていきました。官僚は政策の方向性から政策の立案、実行までをすべて担うことになり、今や「官僚が出してきた政策に対して追認を与えるのが議会(与党)の役目」という人さえいます。議会(与党)は単なる追認機関になってしまったというのが今の「一体化」の中身なのです。

誤解を恐れずにいえば、与党が衆議院、参議院ともに多数を取っていたならば追認機関でも良かったかもしれません。この状態なら、追認機関であるのは良くないという自覚を政治に持たせないからです。

ところが、一昨年、参議院で与野党が逆転して以来、官僚が出してきた政策を与党が追認したとしても参議院で通らない事態が起こるようになりました。そこで改めて、政策は政治が決めるものだという当然のことが認識されるようになったのでした。

これからの政治家に求められる2つの役割

議会(与党)が追認機関になったというのは政権交代がなかったためで、これは官僚機構からも緊張感を奪い、政治と官僚機構との緊張感もなくしてしまいました。もともと日本では制度的に官僚機構の人事はその内部だけで行われており、政治が介入することは基本的にはありませんでした。これに政権交代がないことも相まって、官僚機構は存在感を増していったわけですが、政権交代を見据え、また時代の転換期にあたって、従来のような政治と官僚機構との関係のあり方を変えていかなければなりません。

それを前提にこれからの政治家には2つの役割が求められます。1つは当然ながら、議会の議員として国民を代表し法案への賛否を決めること。もう1つは、政府に入った場合のマネジメント能力(統治能力)です。賛否の表明や政策の立案は、議員個人あるいは議員間で結論が出ますので、これまで経験を積んできたといえますが、官僚に対して政策をきちんと実行するように促すことはなかなか大変です。指揮命令系統の上位にあるからといって、それだけでは官僚は働いてくれるとは限りません。まさにマネジメント能力(統治能力)が問われるという自覚が政治家に求められます。

では、政権交代が行われるようになり、政治家がマネジメント能力を持っていれば、それだけで政治と官僚機構の間に緊張関係ができて政治が決めた政策を官僚がきちんと実行するようになるのでしょうか。

実は今、与野党ともに省庁の部長、審議官、局長など幹部の人事権を政治が持つような仕組みにしようという考え方が出てきています。官僚の幹部に対する人事権を政治が持つのは日本の行政にとっては革命的なことですが、この点、ある官僚は「そんなことをしなくても、私たちはいつも上(政治家)を向いて仕事をしているから、上の意向に柔軟に対応していきます」といいます。

それに、政治家に官僚の人事権を与えた場合、政治家の好き嫌いで恣意的に官僚人事を行う恐れがあります。また、政治家は当選期間中はその時代の要請に基づいて行政に関わるのですが、官僚は採用されてから定年まで一貫して行政に関わっています。したがって、一時的な時代の要請だけで、官僚の人事に政治が介入していいのかという問題もあります。

官僚の人事権は抑止的に使うべき

結論からいえば、私は政治家に官僚の幹部の人事権を認めてもいいと考えます。ただし、人事権という強権により官僚を動かすのは官僚のやる気と自主性を奪い、事なかれ主義の行政機構を生み出す恐れもあるでしょう。

このような人事権は伝家の宝刀のようなものです。宝刀を抜くのは例外的な場合に限られるでしょう。すなわち、政治の要請に対してどうしてもサボタージュするような官僚が出てきたときに限って人事権を発動することが適当と考えます。

いずれにせよ、この人事権は政治と官僚制度との間に緊張関係を維持するためのものであり、緊張関係は国民のためにより良い政策を立案し実行していくためのものです。けっして手段と目的とを取り違えるようなことがあってはなりません。