【国会レポート】思い切った政策を断行して日本にダイナミズムを取り戻す【2009年8号】

民主党のマニフェストについては財源論(政策に対して財源があるかないかという議論)が多いのですが、野党という立場でここまで具体的に個々の政策を書き込み、かつ財源も明記したことは今までになかったと思います。

また、我が党の政策が否定されるのではなくて財源論になるということは、その政策の方向性自体には異論がないということでもあります。

我が党のマニフェストの個々の政策はいずれも拙速で出したものではなく、高速道路無料化も農業の戸別補償も雇用の求職者支援制度も党内で何年も議論してでき上がったものです。

しかも、我が党の政策はトップダウンによるものではありません。個々の議員が議論をしながらボトムアップで積み上げてきた政策です。雇用の求職者支援制度は、私が当選直後の9年前から主張してきたことが政策になったものですが、その間、同僚議員との長い議論を重ねてきました。今回のマニフェストは、我が党の衆参約200人の議員全員が、強弱はあってもすべての政策立案に関与してきましたマニフェストでもあるのです。

政治家しかできない政策を実行すべき

我が党のマニフェストを見ると、毎月2万6000円の子ども手当、公立高校の実質無償化、農業の戸別所得補償、高速道路無料化などが特徴的なものとして目を引きますが、これらについてバラマキとの意見もあります。けれども、社会のなかで格差が開き、年収が上がらないなかで、子育てをしていくのは難しいでしょう。今のように経済が落ち込み、社会状況も閉塞している局面では、これらの政策をパッケージとして実行していくことは必要だと思います。また、このような思い切った政策は政治家しかできません。それを実行してこそ次の地平が開けるのです。

1990年度の我が国の税収は60兆円に迫ろうとしていました。ところが、来年度はそれが40兆円に留まろうとしています。税収が20兆円も落ち込んだのは、個別の問題はともかく大きな観点からは日本人の持っているポテンシャル(潜在能力)あるいはダイナミズムを政治が引き出せなかったからです。要するに、政治の責任で20兆円も税収が落ち込んでしまったとも見ることができるでしょう。

今回の民主党のマニフェストは思い切った政策が盛り込まれており、それくらいの政策を実施して、ようやく日本の潜在力が引き出せるのです。

縮小再生産から拡大再生産へ

かつての池田政権では「所得倍増計画」を、田中政権では「日本列島改造論」をそれぞれ打ち出しました。これらの計画に対して当初は相当な批判もありましたが、日本のダイナミズムを引き出したのは間違いありません。結果的に前者は日本を高度経済成長に導き、後者はインフレを招きました。後者の場合、1日で日本中移動をできるようにするという発想は今でも高く評価されていいでしょうし、政策運営に失敗しなければもっと違った結果になっていたはずです。

近い将来、本格的な電気自動車時代が訪れるとも予想されています。電気自動車の燃費は1キロ当たりわずか1円です。とすると、埼玉県から津軽半島の果てまで750キロですので、750円でいけることになります。首都高など渋滞が予想される道路については有料を維持しますが、首都高など一部を除いてすべての高速道路が無料化してつぎめなく結ばれ、電気自動車が普及すれば、移動するコストがほぼかからない社会が生まれます。日本人が持っている空間と距離の意識が革命的に変化します。例えばそのような政策が日本のダイナミズムを引き出していくことになるわけです。

いずれにしても、私が強調したいのは、政治が思い切った政策をやり抜かなければ、世の中は変わらないということです。日本のダイナミズムが高まっていけば、経済活動の枠が自ずと広がり、したがって税収も増えていきます。これまでの縮小再生産から拡大再生産へと転じていけるのです。

閣僚が大部屋に集まっての政治運営

もう一つ、政権交代後の政治運営体制について述べておきます。私には、首相官邸の大講堂に首相以下、各省庁の大臣、副大臣、政務官がすべて椅子を並べて執務を行うというアイデアがあります。官僚が最も嫌がるのが大臣、副大臣、政務官がそれぞれ意思疎通をすることなのです。官僚は政治家同士を会わせないようにして情報をコントロールし、それによって官僚は力を維持してきたのでした。

結局、政治は情報産業であり、政治家同士が情報を共有することは極めて大切なのです。閣僚以下、政府に入っている政治家が一室に集まっていれば、そこでの議論を通じて情報が共有されます。ときには対立もあるでしょうが、いずれにせよ情報が速く回って政治家同士が危機感を共有しながら政権運営をすることができます。

このような方式が無理だとしても、少なくとも各省庁の大臣、副大臣、政務官は省庁内の大部屋で仕事をするというやり方は可能と思います。その場合、大臣に副大臣や政務官の人事を決める権限を持たせることも必要でしょう。そうすれば、政治のチームとして省庁に圧力をかけられ、スムーズな政策の実行ができるはずです。

廃案になってしまった国家公務員法改正のなかに部長、審議官、局長、事務次官についての人事権は官邸が持つという考えがありました。もちろん人事権は抑止的に使う必要はあるものの、官邸が上級官僚の人事権を持ち、省庁内でチームとして大臣、副大臣、政務官が行動できるようになったときに各省庁は大きく変わるでしょう。

民主党のマニフェストには事務次官会議の廃止も明記されています。「廃止されると時間がかかって政府の運営に支障が出る」と批判する次官OBもいるのですが、事務次官会議を廃止したうえで閣僚同士が議論して政治を主導するのが本来の姿ではないでしょうか。時間がかかったとしてもそれが民主主義なのです。

もともと民主党には他の議員の仕事にも平気で質問するという良き風土があります。政府に入って自分の分担以外の仕事に対する発言ができないなら、今のように閣議は単なる承認機関になってしまいます。良き風土のある我が党であれば、閣議でもさまざまな意見が出て国民のためになる政策運営ができます。