【国会レポート】被災の記憶を風化させてはならない【2013年3号】

今年3月11日、私は天皇皇后両陛下ご臨席の下、都内の国立劇場で行われた「東日本大震災二周年追悼式」に参列しました。宮城、岩手、福島各県のご遺族の追悼の言葉を聞いて改めて震災の悲惨な状況が脳裏に浮かび、衷心から哀悼の意を表したのでした。

お一人お一人の生活を思い浮かべながら被害状況の数字を把握すると被害の大きさに改めて心が重くなります。今年2月時点の人的な被害状況は、死者1万5880名、行方不明者2694名、負傷者6135名、震災関連死(同震災による負傷等で亡くなった人)2303名です。建築物被害は全壊12万8931戸、半壊26万9045戸、一部破損73万6323戸となっています。

同じく2月時点の避難者数は約31万5000名で、そのうち避難所にいる人は139名。避難者の大部分はすでに仮設住宅等への移転を済ませています。岩手・宮城・福島などの仮設住宅は約5万3000戸が完成しており、うち約4万8000戸に約11万1000人の避難者が移り住み、残りの避難者は全国の公営住宅や民間住宅に入りました。

また、この3月11日、地元の上尾、桶川、北本、鴻巣で民主党として募金活動を行い、募金は合計10万円を超えました。私の地元でも被災地出身の方々が多く住んでいて、皆様の被災地に対する強い思いを感じました。

イチゴ農家などで確実に進む復興

さらに先日、私は同僚議員だった前衆議院議員の地元を訪問しました。場所は宮城県仙台市の南に位置した仙台空港からほど近い沿岸部です。前議員に案内を受けながら沿岸部を中心に被災地を訪れたのですが、この一帯は震災の大津波で大変な被害を出すとともに、震災直後は瓦礫の山となっていました。しかし、今年1月末時点で宮城・岩手・福島3県の瓦礫はその約46%分の処理が完了しているとのことで、実際、この一帯も海岸沿いでは瓦礫が全部撤去されており、一面、見渡す限りの平地になっています。

大津波をかぶったことで塩害にも見舞われたものの、除塩作業のほうも目処がついて、来年には田植えもできるようになるそうです。港湾設備もかなり復旧してきたので間もなく使用できるようになります。

農業についてもここには国費が161億円投入された結果、最新の大きなビニールハウスが多数立ち並んでいました。各農家がこれらのビニールハウスでつくるのはイチゴが中心ですが、私が視察した農家のビニールハウスではイチゴのほかトマトも手がけていました。最新の設備で温度管理等ができるため大粒で甘みの強いイチゴがつくれるとのことで、私もそのイチゴを試食させてもらったのですが、やはりとても美味しいものでした。イチゴの出荷もこれから本格化します。

この地域では2年を経て大震災からの復興は徐々に進んでおり、以上のようなイチゴ農家をはじめ多くの人たちの生活の基盤が取り戻されつつあると実感しました。

技術者不足のために進まない住宅建設

しかし、私の訪れた町では復興住宅を600戸程度建設する予定になっているのに、訪れた工事現場で地元の工務店の経営者に話を聞いてみると、なかなか工事が進まないとのことでした。というのも、以前なら建築の技術者の日当は高くても9000円ほどだったのが今では3万円くらいにまで高騰しており、加えて住宅の原材料も集まりにくくなっているからです。その方は「人件費が急騰して利益が出なくなっているし、原材料不足にも困っているのですが、地元の復興のために損得抜きで一生懸命に仕事をしています」と言っていました。

この話を聞いての反省点は、震災後、住宅建設や土木工事の技術者を養成するための職業訓練を先行して実施したほうが良かったのではないかということです。この点も今後の大きな教訓にしなければなりません。

被災地の要望を国の政策に活かしていく

もう一つ、懸念すべきことがあります。被災地で瓦礫が撤去され、見渡す限りの平地になると、被災の記憶が風化してしまう恐れがあるということです。実は、「平地になって風景が一変してしまったために震災前の街の様子が思い出せなくなった」と嘆いている現地の人もいました。それどころか、被災の状況の記憶でさえ人間は忘れてしまいがちです。

ですから、3月11日に地元で募金活動を行ったのも東日本大震災の被災の記憶を風化させないためでもあります。桜が満開で温かくなった私の地元から宮城県に訪れてみると、桜が開花していないのはもちろん、まだモ寒空の冬景色でした。気温が低いので、生活していくだけでも大変です。

そこで私としては今後とも折に触れて被災地に出かけて行って、被災地の人たちの要望を十分に聞き、それを国の政策に活かしていくという努力を続けていきたいと思います。今回は宮城県でしたが、近いうちに福島県や岩手県にも赴いて、その模様もご報告いたします。