【国会レポート】日本の課題の解決策は政治にしか提示できない【2012年12号】
昨年末の総選挙では、私は、9万673人の方々のお力をいただくことができました。民主党にとって厳しい選挙の中であっても、9万人を超える方々から私への信任を賜りましたことに身の引き締まる思いです。
前回2009年の総選挙で政権交代が起こって、私も政府・与党の立場となりました。政府では内閣府および総務省の副大臣、党では政策調査会筆頭副会長、国会では内閣委員会と復興特別委員会の筆頭理事をそれぞれ全力で務めてきました。その結果、副大臣として担当した法案はすべて国会に提出し、委員会を預かる筆頭理事として委員会に付託された法案もほとんどすべてを法律として成立させることができたのです。
もちろん簡単に通った法案ばかりではありません。中でも特に重要な案件だったのが沖縄振興法、国家公務員給与削減の特例法、震災復興関連法の3法案です。3法案とも私が責任者の立場で野党との修正協議を行ったのですが、いずれも与野党間の粘り強い話し合いを経た後に法律として成立しました。
それからしばらく経って、たまたま目にした新聞の小さな記事にこんな野党幹部の発言が掲載されていました。
「沖縄振興法、給与特例法、震災復興関連法で与党と修正協議を行ったのだが、3法案ともとても良い修正協議だった。」
情報発信よりも結果を残すのが与党の仕事
今回の総選挙の結果、民主党政権は3年3ヵ月で終わったことになります。私はこの間、地元にほとんど戻ることもありませんでした。と同時に、マスコミに出て発言するようなことは一切控え、ホームページやブログを使って情報発信をすることを控えました。なぜかと言えば、政府・与党の一員として仕事をすることが私の最大の責務だったからです。情報発信は首相と大臣が行えば良いのであって、私のように副大臣あるいは与党や国会の責任者という立場にあってはやはり政府を支える仕事に専心しなければなりません。「政治家は目立つことではなく結果を残すことが仕事」という信念の下に3年3ヵ月の間、黒子に徹し全力を尽くしてきました。前述した3法案でも私は責任者として一切表に出ることなく修正協議を成功させて法律化を実現したのです。マスコミにまったく取り上げられなかった私に対して9万人以上の方々が信任して下さったことは大きな名誉であるとともに身が引き締まる思いです。
変わらない我が国の課題
私は政権にあったとき、2つの役所の副大臣を経験し、党政策調査会筆頭副会長など党の要職も担当してきました。それらを通じ役所の人たちとも本音で話し合える人間関係のベースができましたし、同時に日本に対する見方も質的に少しは変わってきたと思っています。けれども、我が国が抱えている課題は以前と変わっているわけではありません。それどころか、さらに深刻になってきているとも言えるでしょう。我が国は、今、人口が増加から減少に転じることに伴う社会的変革期に直面しています。
第2次世界大戦が終わった1945年には我が国の人口は約7,200万人でしたが、その後、経済成長を遂げていくとともに人口も増えて2010年には約1億2,800万人となりました。ところが、我が国の人口は35年後の2048年には1億人を割り込み、さらに2060年には8,674万人にまで減少すると予測されています。
戦後に5,000万人近くも人口が増えて経済成長を果たしたことは大きな成功体験となっています。しかし企業はすでに20年前にはその成功体験から脱しました。一方、人口が増加から減少に転じることに伴うパラダイムシフト(常識や価値観が革命的に変化すること)を直視している日本の政治家は多くはおりません。人口の増加とともに税収が増えていく時代には政治も国民に対してバラ色の未来を提示することができましたが、人口が減少に転じると税収も減っていくのですから、国民に我慢してもらわなくてはならない局面も出てきます。政治家は見たくない現実について直視し、国民を説得することが求められているのです。
官僚機構では出せない解決策を提示する
私は政治の目的とは、「誰もが生きていて良かったと思えるような状況をつくること」と思います。人口減少と少子高齢化が進むとしても、首都圏、中京圏、近畿圏という三大都市圏での国際競争力を高めることで引き続き安定した暮らしを維持できると考えます。その可能性を実現に移すことが政治の役目にほかなりません。
政権を運営するにあたっては、重い責務を担うと同時にどうしても発想は既成の枠内に引っ張られがちになります。官僚機構では出せない解決策を提示するために、政権を離れた今こそ、自由な発想に基づいてもう一度世の中の仕組みを考え直し、解決策について提示していきたいと決意を新たにしています。今後も本レポートで日本における課題の解決策について提示していきます。