【国会レポート】経済成長のあり方が変わって三大都市圏が日本を牽引していく【2012年9号】
日本の人口は増加から減少へと転じつつあります。
第2次世界大戦が終わった1945年には日本の人口は約7,200万人でした。その後、日本の復興とともに人口も増えて2010年には約1億2,800万人まで増加しました。この人口増加は日本の経済成長を強く後押ししたのですが、これが日本経済の成長における従来の前提条件です。
人口の増加が経済成長を促進
高度経済成長のきっかけは池田内閣が1960年に打ち出した「所得倍増計画」でした。これに基づき、道路5ヵ年計画、港湾整備、工業用地開発、住宅建設、東海道新幹線建設など数多くの公共投資が行われ、その動きは鉄鋼、石油化学、機械、電機など各分野の民間企業の設備投資にも大きく広がっていきました。その結果、1961年から1970年までの10年間、当初予測の年9%を上回る年10.5%という高度経済成長を実現したのです。
この経済成長では日本の富は企業や工場が集中する太平洋ベルト地帯や大都市部で稼ぎ出されていきました。その富から得た税金を政府は地方交付税交付金という形で地方に分配し、地方は政府から分配されたお金でさまざまなインフラ整備を進めていったのです。この分配を支えたのが日本全国隅々まで同時に発展させていくという「国土の均衡ある発展」という考え方にほかなりません。高度成長期が終わっても人口増加は続いたため、同様の手法は現在まで続いてきました。
首都圏・名古屋圏・近畿圏が牽引役
ところが、今や人口増加は頭打ちになっており、2010年時点の人口は約1億2,800万人ですが、国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、35年後の2048年には1億人を割ってしまい、さらに47年後の2060年には8,674万人にまで減少し、そのうち65歳以上の割合は39.9%にも達します。
そして、ここで注意しなければならないのが首都圏、中京圏、近畿圏という三大都市圏での高齢者人口の伸びです。75歳以上人口は、2005年と比べて2035年では、名古屋市では2.1倍、千葉県船橋市では2.9倍にもなります。また、国土交通省の資料によれば、首都圏の千葉、埼玉、神奈川といったベッドタウンでの85歳以上の独居老人の数は2017年と比べて2042年には4倍から6倍にも増えるのです。
人口増加によって成長するという日本の経済成長モデルは通用しなくなるとともに高齢者層は三大都市圏に集中していきます。とすれば、従来とは違う新しい日本の経済成長モデルをつくらなければなりません。それにはまず三大都市圏で国際的に勝ち抜ける競争力を付け富を蓄積する必要があります。手法としては、例えば、三大都市圏に特区制度を設けてさまざまな規制を緩和し、世界中から優れた企業や研究拠点を誘致し、科学技術でも文化芸術でも最先端に巡り合える地域として、アジアのパワーを積極的に取り込んでいくのです。
30年後でも、地方では高齢化の割合は現在と変わらないのですが、三大都市圏では高齢者の数が極端に増えていきます。ですから、三大都市圏では、国際競争力によって海外から富を稼ぎ、その富を高齢化に備えた社会資本整備にあてるのです。
行政機構について選択と集中も必要
これまで「国土の均衡ある発展」の下で日本全体として富を蓄積してきたわけですが、三大都市圏が日本経済を牽引するという新しい仕組みにおいては「国土の均衡ある発展」は役割を終えました。
確かに「国土の均衡ある発展」はこれまで地方の発展に大きく寄与してきました。反面、都市部のインフラ整備は遅れています。私の地元でも道路整備が40年間ほったらかしでしたし(40年間実現しなかった上尾道路の北本・鴻巣間を要請活動を繰り返し2011年に新規事業化しました)、首都圏では圏央道の整備なども遅れています。病院や介護施設も十分に備わっているとは言えません。三大都市圏を日本の牽引役にするためにも改めて三大都市圏のインフラ整備は行わなくてはなりません。
行政面について述べれば、平成に入って市町村合併が進められ、市町村長や議員の数も減ってきました。市町村合併は人口減少時代に対応した1つの手法とも言えるでしょう。今後、人口が8,000万人台へと減ることを見据えた上でのこうした行政機構の変革もなお不可欠です。
それには、たとえば、将来は、都道府県と各市町村を統合して新たな単位の自治体をつくるという方法もあるでしょう。政府と自治体の2層の行政機構にすることによって人口減少時代に備えるということです。
人口が減少していく日本において今後も国力を保つためには、分権するところは分権した上で、ある程度、中央政府に力を集めるという考え方も排除できないと思います。行政機構の面で選択と集中を行わないと国際競争にも負けてしまいます。
いずれにせよ、経済が成長するための前提条件が大きく変わっていくと同時に従来の政策が通じない時代に入ってきています。その認識を政治も国民も持たなければならないということなのです。