【国会レポート】発足100日での新政権 様々な取り組み【2009年12号】

政権交代後100日余りで来年度予算と税制をまとめました。今、我が国の統治機構すなわち国の在り方が根本的に見直されています。大臣、副大臣、政務官の政務三役会が定着し、そこで課題に取り組み、結論を出して国家の意思を決めています。

事務次官会議を廃止した後、私も含め政治家には直接国家を運営するという緊張感とやり甲斐が生まれました。将来、再び政権交代が起こってもおそらくこの仕組みは変わらないし、国会議員もまず副大臣や政務官を目指すようになるでしょう。

反面、従来とは異なり、副大臣や政務官はどんな政治家でも務まるような仕事ではなくなりました。大臣の意志を尊重する柔軟性、省庁間の調整能力、的確な判断力が求められます。

従来は審議会での有識者の議論を通して政策の在り方を決めていたため、利害関係の調整に時間が掛かり、また、中庸で無難な政策立案となりがちでした。それが、政務三役中心に意志決定を行うことで、荒削りでも意志決定のスピードは速くなります。たとえ最上とはいえない決定でもその結果はすぐに出ますので、機敏な対応ができるのです。

その意味では、慎重過ぎて結論を出すまで時間がかかるより迅速な決定のほうが現代ではメリットが大きいと思います。

前政権の予算の全面的な見直しと新たな施策

新政権が発足して最初に手がけたのが前政権の一次補正予算約15兆円の見直しです。これを削った2.9兆円をもとに新政権では7.2兆円という規模の二次補正予算を作成しました。国内外の景気が悪化しているということを視野に入れたものです。

また、前政権の概算要求も全面的に見直して22年度予算をまとめました。税制では前政権で形骸化していた政府税調の機能を本来の姿に戻し、各省庁の大臣、副大臣、政務官が参加して30回近い議論を行いました。その結果、税制も年内にまとめることができたのです。

一方、この間、一般に広く公開する形で各省庁の事業を仕分ける作業も初めて実施しました。これまで不透明だった予算の決め方が白日の下にさらされた点で画期的な取り組みです。なお、仕分け対象には、地域のコミュニティを支える取り組みも含まれており、私も同僚の副大臣や副幹事長に働きかけて予算復活に奔走しました。

予算の中身も前政権とは大きく違います。公共事業を減らして教育(高校無償化)、子育て(子ども手当)、社会保障(診療報酬アップ)などに思い切って予算を配分しました。農業でも土木工事の予算を大幅に減らし、その分を農家の戸別補償に回しました。

前政権までの予算編成とは異なってより深くより広い予算の議論ができただけでなく、族議員の抵抗によってできなかったこともやり遂げることができました。しかも、私たちは初めて政権を担ったわけで、年内に予算と税制をきちんとまとめたこと自体まさに政治主導が機能した証と思います。

3人3様の個性的な大臣に仕える

では、私が内閣府副大臣として何をしてきたか。大臣1人に副大臣2人が仕えるというのが普通なのですが、私の場合は1人でスタイルの違う3人の大臣、つまり前原誠司国土交通大臣(防災・沖縄・北方領土・宇宙)、福島みずほ内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策)、仙谷由人内閣府特命担当大臣(行政刷新・公務員制度改革)に仕えています。所管のフィールドが広くかつバラバラで多忙を極めていますが、3人とも部下として仕事がしやすい大臣です。

その人となりに少しふれてみましょう。まず前原大臣は全幅の信頼を寄せて私に仕事を任せてくれ、決断も速くてブレのない方です。福島大臣は個別テーマについて部下に意見を求めて相談しつつ論点を詰めていくタイプで、手堅い方だと思います。仙石大臣は、個性的で優秀な若手官僚を集め、外部の知恵袋も活用しながら、部下に自由に仕事をさせてくれます。しかも、目指す方向には誤りがありません。人材活用の名伯楽といえるでしょう。

確実に出てきた幅広いフィールドでの成果

政権発足後の私の具体的な仕事の成果は以下の通りです。

①昨年9月1日に発足した消費者庁の仕事では、国内で多くの販売実績がある外国企業のベビーカーの事故が起こった直後、私の指示で同社に直接レターを出して「事故の対応をしっかり行うように」と促しました。これは異例なことだとして新聞等でも高く評価されました。

②沖縄の振興予算については、できるだけ沖縄県民の心情を汲みながら沖縄の地方公共団体の長や議員の要望を十分に理解し、その上で振興予算の編成に取り組みました。財源と要求の狭間で各関係部署に沖縄の実情を説明するなどして無事に予算編成を成し遂げました。

③都市型豪雨(ゲリラ豪雨)対策では中央防災会議の下部機関での議論をスタートさせ、都市型豪雨の予報や避難体制について気象庁や地方公共団体を含めての一体的な取り組みを行うためのスタディを開始しました。

④毎年3月に自殺者が増える傾向にあるため、11月に自殺対策の100日プランをつくり、たとえば経済産業省を通じて各商工会議所に相談窓口についての通達として流してもらうなど、気が付くところから早急な対策に取り組んでいます。

⑤独立行政法人の幹部人事について公募システムをつくり上げました。昭和20年代に施行された当初の国家公務員法では「国家公務員の幹部ポストが空いたら公募せよ」と規定されていたのですが、今やそれが骨抜きになっています。しかし、アメリカではホームページ上に公務員の公募が3万件近く出ているので、それを踏まえ今回、独立行政法人の幹部人事について当初の国家公務員法の趣旨に準じる形で、求められる職務内容や年俸をホームページに掲載するなどして公募しました。その結果、40のポストに対し約2500人の応募があり、民間からも多くの優秀な人材を獲得することができました。

以上の③と④については総選挙における私の個人的な公約でもあったので、それを果たすことができてホッとしています。

最後に官僚についていえば、政権交代直後は「官」の抵抗に身構えていましたが、私の周辺ではこれまできちんと支えてくれています。要求しなくてもマニフェストに基づいた政策を提示してくれます。また、予算編成や税制が昨年内にまとまったのも「時の政権に仕えるのが仕事」と自己を定義している官僚機構の協力があったからでした。国民のための政治主導なら、官僚も保身に走ることなく良い仕事をしてくれるのではないかと思っています。