【国会レポート】新政権で始まった政治家主導への試み【2009年10号】

政権交代によって私の立場も野党から与党になりました。今回、新政権が発足して1カ月経って、どのような変化が起こっているのかについて述べてみます。

まず私自身の仕事環境が激変しました。野党時代には時間的な拘束が少なかったため、国会の質問に備えて多くの現場によく足を運んでいました。地元の商店街や企業、農業関係者などへの訪問はもちろんのこと、斯界のエコノミストに意見を聞きに行ったり、最先端の研究成果を勉強するために国の各種の研究機関にも出向きました。南米からの出稼ぎ労働者の実情を取材するために自動車関連企業が多い群馬県太田市に行ったこともありました。

新政権では内閣府副大臣に就任しましたので、内閣府の役所のある霞が関に毎日通っています。昔のサラリーマン時代に戻ったような感覚なのですが、朝9時前に役所に入って夜8時過ぎまで役所で仕事をしています。内閣府は内閣の総合調整をする役所ですから、手がける問題も非常に多岐にわたっています。

この1カ月間、予算の議論、新しく発足した消費者庁の方針決定、自殺対策、宇宙政策、沖縄振興予算、公務員制度改革などに取り組んできました。サラリーマン時代も含めてこれまでの自分の経験が非常に生きていると改めて実感しているところです。

政治家主導の象徴が政務三役会議である

今、目に見えて官僚主導から政治主導へと舵が切られつつあるのではないでしょうか。

補正予算の見直しを例に取ってみましょう。新政権の方針で補正予算から3兆円の財源を捻出することがテーマになりましたので、今回、前政権で決まっていた補正予算の中身を細かい項目まですべてチェックしたうえで、どの項目が本当に必要なのかを省庁内の政務三役会議で決定しました。この会議は大臣、副大臣、政務官で構成されるのですが、要するに官僚を入れない政治家だけの会議で予算の中身を決めていくのです。

前政権でも大臣、副大臣、政務官という役職はあったのですが、三役の会議が行われることもなく、その省庁についての予算や政策はすべて官僚が決めて、それを大臣が追認するという形でした。三役間の横のつながりはなく、大臣以外の副大臣や政務官はいわばその省庁のイベントで挨拶するセレモニー要員というような立場で、行政面ではいてもいなくてもいいお飾りのような存在だったのです。

しかし今は違います。副大臣や政務官もその省庁の政策的な仕事にきちんと関わらなくてはなりません。私の執務室も当初、秘書官1人、事務官1人、スタッフ1人の陣容だったのですが、副大臣としての仕事量が多く、毎晩夜中の1時過ぎまで働くなど、スタッフに過大な負担がかかるようなったため、もう1人事務官を増やしてもらいました。

私自身について付言すれば、業務上では、独善に陥らないように同僚議員や役所の人たち、そして関係者の意見や「異見」もしっかりと聞いて、そのうえで決定を下すように心がけています。

各省庁間の政策の調整もやはり政治家が行うようになりました。たとえばA省とB省が政策調整を行う場合、A省とB省とが大臣、副大臣、政務官というそれぞれのレベルで話し合うほか、A省とB省の政務三役同士が一堂に会して話し合います。そのうえで、政治家が決断し、自分の役所の政策を決めていくのです。

国会が始まれば、いろいろな法案が出てくるでしょう。そのときも政務三役を中心とした政治家の決断によって行政が進んでいくはずです。私が役所の幹部と話すと、彼らは「政治家が方向さえ決めてくれれば、その中で一生懸命仕事をする」と言っています。従来は方向を決めることまでが官僚に任され、その結果、官僚主導が進んでしまったようです。

廃止してもまったく困らない事務次官会議

新政権になって各省庁の官僚のトップである事務次官をメンバーとする事務次官会議も廃止されました。事務次官会議には法律的な根拠はないのですが、各省庁から出てきた案件を調整して閣議に送るという役割を担っていて、定例の閣議の前日すなわち毎週月曜日と木曜日に開かれていました。

内閣官房長官が主宰し、各省庁の事務次官のほか、事務担当の内閣官房副長官、内閣法制局次長、警察庁長官、金融庁長官、消費者庁長官が出席していました。事務次官会議については「廃止したら行政が動かなくなる」と指摘していた人もいたのですが、実際に廃止してみても滞りなく行政は動いています。

その代わりになっているのが各省庁の副大臣が出席する副大臣会議です。前政権まではこの副大臣会議は年6回しか開かれませんでしたが、今はほぼ毎週1回開かれています。この副大臣会議で各省庁全般にわたる実務的な政策調整を行っています。事務次官会議は各省庁から提出された案件を閣議に上げるかどうかを決める儀式の場だったので、議論もありませんでした。各省庁間の調整は事務次官会議までに官僚同士が済ませていたからです。

副大臣会議の場合、非常に活発な議論が交わされます。その結果、行政の実務面での方針が出て、それを官房長官が取りまとめます。したがって、閣議が国の大きな方針を決める場だとすれば、副大臣会議は各省庁の実務的な仕事を先導する場だと言えるでしょう。

政治の責任が重くなった今回の政権交代

これまで各省庁の最終的な決裁の判子を押すのは事務次官でした。まず文部科学省ではそれを事務次官ではなく副大臣が行うようにし、さらに局長が押していた判子も政務官に移したのです。

これは大変なことで、政治家が最終的な決裁の判子を押す権限を持つというのは、決定に責任を持つとともに、判子を押さないという拒否権を得ることにほかなりません。官僚機構に対して大きな重石となるでしょう。

最後にもう一度強調すれば、副大臣は政府の税制調査会のメンバーにもなっています。新政権では政治主導で税を決め、政治主導で予算を決め、政治主導で政策調整を行っており、まさに今、政治主導が動き出しているのです。