【インタビュー記事】「語ろう内閣府」プロジェクト 大島副大臣へのインタビュー

「語ろう内閣府」プロジェクト 大島副大臣へのインタビュー

■日時:平成23年2月24日(木)15:30~16:00■場所:大島敦・議員会館事務所

【はじめに(内閣府の印象)】

大島敦前副大臣

○インタビュアー:大島前副大臣には、昨年9月まで約1年間、副大臣としてご指導いただきました。本日は、内閣府が今後果たすべき役割などについて、お聞かせいただければと思います。

○大島前副大臣:内閣府担当の副大臣になりまして、私は非常に幸運だったと思っています。内閣府というところは内閣を支える部局なので、官邸の動きが極めてよくわかるところです。国の統治の仕組みがリアルにわかるところであるので、内閣府の副大臣としてさまざまな仕事にタッチできて本当に幸福だと思っていて、非常にエキサイティングな1年間でした。こんなに重要なところはないのです。

経済産業省とか厚生労働省とか文部科学省の副大臣もエキサイティングな仕事だと思うけれども、仕事の範囲は決まっているわけです。内閣府は仕事の範囲が決まっていないのです。それはもちろん内閣府設置法で総合調整と企画立案をやれということだから、権能として調整機能を持っているところです。ですから、地味だけれども、大きな官庁ではないけれども、政府の方針をまとめて一定の方向を決めるということは、全省庁を動かせるところだと思います。ですから、閣議決定にはこだわったんです。

【内閣府の役割】

○大島前副大臣:消費者庁の消費者基本計画が去年3月に策定されました。これはもともと閣議決定文書ではなかったんです。それを私は閣議決定文書に格上げしたということがあって、やはり閣議決定して、閣議決定に持ち込むまでの各役所との調整業務、どこまで調整できたかというのが内閣府の実力だと思います。ですから、役所の人には、ほかの部局も含めてとがったものを出してくれと。最終的には副大臣の私が調整は取りたい。役所の思いを他省庁にぶつけて、事務方同士で調整業務をするのではなくて、政治レベルで決着を見るぐらいまで持ってこられるというのは非常にすばらしいことだと思います。

○インタビュアー:事務方でまとめると単なるホチキスになってしまいがちです。とがったものというのは、なかなかつくるのが難しいです。

○大島前副大臣:私もサラリーマンだったから、仕事を手抜きしようと思うと丸い文章しかつくらないということはよく知っているんです。丸い文章をつくるのではなくて、とがったものを、要は各役所に対して目を覚ませということです。とがったものをぶつけてみると、何か覚醒するわけです。そういうことを内閣府の皆さんがチャレンジすると結構いいと思います。楽な仕事をしようと思ったら楽だと思います。

白書についても閣議決定文書だということを聞いたものだから、ここに入れ込むということは政府としての方針になるので、そうかということで、白書に至るまで結構こだわった。皆さんによく2仕事をしてもらったと思います。

あと、内閣府でしかできない仕事ですね。もともと私は日本鋼管のときも企画調整を行う鋼材輸出部調整室というところにいました。要は企画と調整が仕事で、係長で製鉄所に戻ったときも鋼管工程室の企画調整主査だから、内閣府みたいな仕事をサラリーマンでもずっとやっていて、そういう面では違和感がなかったです。

会社生活を通して資料の重みというのを知っているんです。私も朝から晩まで資料づくりをしていたし、鉄鋼会社の輸出の計画などをつくって、クオーター、四半期ごとの較差分析もやっているわけです。ですから、数字が多少読めますし、資料をつくるのが大変だということも知っています。1枚の資料作成がどれだけ大変かというのはよくわかっていますから、皆様の御苦労は多少わかっていたのかもしれないと思います。何か言えば翌日に出てくるのではなくて、皆さんご苦労して作成してくるわけだから、それは大変と理解しています。

いろんな政治主導のスタイルがあると思います。私は議論を好んだ。野党の時代も議員会館の部屋に役所の課長補佐の皆さんに来ていただいて、ずっと議論していたわけです。野党のときは課長補佐だったけれども、政府に入ると今まで会ったことのない局長とか審議官とか、さらに課長が一番末席に座っていて、これが大きな違いでした。

【内閣府のガバナンスについて】

○大島前副大臣:政治はやはり役所の意見を聞いた方がいいと思います。もちろん私も意見がありますから、譲らないところは譲らないけれども、政治の判断として多角的な論点をしっかり考慮することが必要で、野党の質問も私は非常に大切だと思っています。これは私たちが気づかない政治家としての論点を野党から指摘されるというのは、真摯に受け止めなければいけない。ですから、野党からの指摘があって、役所との議論があって、マスコミからの意見があって、それぞれの論点を踏まえた上で最終的に政務三役が判断するというスタイルにしたいと思って努力しました。

ただ、仕事は多かったね。朝から晩まで消費者庁の仕事、沖縄・北方対策の仕事、国家公務員制度改革の仕事、男女共同参画の仕事、共生の仕事。さらに私は防災担当だったから自由がなかった。防災担当というのは直ちに首相官邸の地下の危機管理センターに入らなくてはいけないので、常に緊張感を持った1年でした。あと、原子力安全委員会、食品安全委員会、「新しい公共」、宇宙開発などもありました。

防災訓練において

やはりこれだけの仕事というのは、今までの社会人としての蓄積があったからどうにか務まったと思います。原子力安全についても、鉄鋼会社に勤めていたから、原子力向けのパイプの工程管理、原子力発電所向けのパイプを扱ったこともあったり、あるいはものづくりの出身でもあるので、消費者庁などのいろんな品質クレームについての対応もそんなに的外れなことを言わなくて済んだのかもしれません。

国家公務員制度改革推進本部事務局の皆さんにも支えて頂きました。感謝しています。サラリーマンの人生は、いいときと悪いときがあって、大体上司は2年から3年のごとに変わる。いい上司のときはハッピーだし、一番よくないのは自分が係長とか課長になるとか部長になる一歩手前で、ウマの合わない上司が上にくると出世が遅れたりするとかね。あるいは会社の権力の周りにいる人だけ出世するとか、本当に現場の一線とか営業の一線で汗をかいている者が出世をしなかったりしているのを見ているから、できるだけ汗をかいている人に配慮したいという思いはありました。どこまでできたかわからないけれどもね。

○インタビュアー:特に我々から見ると、政治主導を掲げた民主党政権になられたということもあって、今まではどちらかというと大臣に直接局長などが説明しているというスタイルだったと思いますけれども、そうではなくて、政務三役として意思決定をするという形になったので、従来以上に副大臣にいろいろ御判断いただいた上で、大臣に上げていくというプロセスになりました。そういう意味でも非常に頼りにさせていただいたというか、まずは副大臣に御相談してからという意思決定のスタイルになり、その面でも非常に御負担をおかけしたのではないかという感じがします。

○大島前副大臣:やはり政府に入るということは公務が最優先である。公務の最優先を果たすためには健康管理も含めて日程を組むということなので、ですから、地元ではほとんど活動しなくて、すべては公務優先でやってきました。沖縄政策についてもよく相談させていただいて、本当によかったです。

○インタビュアー:沖縄政策担当や共生社会政策担当などは様々な省庁から来ていますが、印象はどうでしたか。

○大島前副大臣:政府に入ってみると、役所によって体質が相当違う。府省によってカルチャー、文化が違うというのはよくわかります。同じ国家公務員だとしても、カルチャーが違うと行動パターンが違うというのがあります。つまり意思決定の仕組みも府省ごとに違うのかもしれません。

○インタビュアー:そうですね。違います。

○大島前副大臣ですから、内閣府は、各府省から来ていただいて、それぞれの文化を持ち寄って、お互いの人間関係と信頼関係をつくっていただく職場だと思います。

○インタビュアー:こういうところがよくなかったとか、何かありませんでしたか。

○大島前副大臣:余りそういうのはないんです。ここが劣るということはなくて、私の副大臣室の皆様も全面サポートしていただいたので、問題なく終わることができました。副大臣の仕事は仕事を減らすのが仕事だからね。要は日常茶飯事でいろんな問題が組織には起こるわけです。私もサラリーマン時代にミスが多かったわけです。そうすると、会社に迷惑をかけたりするわけです。人の行うことだから必ずミスというのはあるわけです。100%の仕事というのはできない。ですから、そういうことがわかっていたから、あまり怒らなかった。

○インタビュアー:本当にそうです。

○大島前副大臣:私の方がもっとミスしていたと思います。

○インタビュアー:いえいえ、職員は皆、本当にいい副大臣だったと思っています。是非また帰っていただきたいと思います。

○大島前副大臣:これまでの経験から、問題が起きるとすぐに記者会見した方がいいと指示をしたわけです。

○インタビュアー:そうですね。個人情報の漏えいの件では、すぐに発表をという御指示でした。

○大島前副大臣:ですから、皆さんに気をつけてほしいのは、リスクマネージメントの問題で、早く公開、報告した方がいいということです。サラリーマンはリスクを抱えてはいけない、職務権限を超えたものは報告する。どこに報告するかというと、課長は局長に、局長は三役にと報告し判断を仰ぐわけです。ですから、できるだけ早く悪い情報は上に報告しておくということです。

よく皆さんにお願いしたことは、悪い情報が入ってきたときに怒らないでくれと。そのたびごとに言っているんです。私のところにも悪い情報は包み隠さず報告してくれと。皆さんも悪い情報を部下から報告を受けたときは、例えば「ありがとう」ぐらいは言った方がいい。それが保身に入ると、ものすごく面倒くさくなる。人はミスをするものだということを強調したいと思います。人はミスをするものなんだから、100%つつがなく日々の生活を送ることはないわけです。ミスに関してできるだけ対応をとる。そういうことを上司が知っていて、他のセクションとのやりとりがしっかりできるということが一番必要だと思います。

○インタビュアー:確かに内閣府みたいな役所の場合は、特にそうですね。ほかの省だと同じ役所で採用された同士の者がいるんですけれども、内閣府はいろんな人がいるので、情報がどこかで止まってしまうことがあります。

○大島前副大臣:止まってしまうんです。こちらの島からあちらの島へ行かないんです。隣には伝わらないのです。仕事のスタイルが違うと、島をまたいでの情報がないことがあるから、そこだけは内閣府の中で、自分のところのセクションのマネージメントで情報共有できているか局長なり部長なりが気をつけるということですね。

【今後力を入れたいこと】

○インタビュアー:大島前副大臣には、引き続き内閣委員会の筆頭理事としてお世話になっているわけですが、今後こういうことに力を入れてやっていきたいとか、思いがありましたら、お話いただければと思います。

○大島前副大臣:今は非常に複雑な時代になっていて、例えば1970年代にオイルショックがあって、オイルの値段が10倍に上がって、10年後にベルリンの壁が崩壊して、その2年後にソ連がなくなったわけです。数年前から世界中で新しいパラダイムシフトが起きているんです。オイルの値段もこれまで20ドルから30ドルだったのが80ドルから90ドルぐらいになって、技術もものすごく速いスピードで進化しています。多分10年後には、技術革新の成果が政治を根底から変えると考えています。

もう一つは、国際金融マーケット、2000年代の10年間で金融派生商品の市場が世界GDPの10倍までふくらんできたわけです。このマーケットを、今、政治は制御ができないわけです。リーマンショックの後もドイツのメルケル首相などが制御したいと言ったけれども、制御できない。債券も株も商品もすべてのマーケットは、今、連動しているわけです。同じ画面の中で売買が行われ、かつそれがロボットトレーディングだから、プログラムによって1秒間に何千回も取引できるような極めて不安定な時代に私たちが暮らしているということです。2000年にはこのマーケットが少なかったのが、急激に伸びて、制御できないままこれが走っているわけです。パラダイムシフトが起きているわけです。ですから非常に不安定な中で、私たちの国の豊かさを維持しながら、アジアにおいてできるだけ平和な時代が続くように制御しなくてはいけない。単純な時代ではないわけです。こちらの方向とかあちらの方向とかというのを示すのではなくて、複雑な環境の中でできるだけ我が国としてダメージを回避して、かつ我が国の富を外に出さないようにするという、政治は複雑なオペレーションをしなければいけないわけです。

○インタビュアー:そうすると、いろんなアンテナを高くしなければいけないんですね。

○大島前副大臣:野党の時代から、経済財政分析の担当の人たちに来てもらって、ずっといろんな議論をしてました。ですから、内閣府に行っても、私の所管ではないけれども、必ず来てもらって、今は離れたけれども、月に1回はここに来てもらって議論をしているわけです。指摘が面白いわけです。役所が持っている知恵というのは結構深い。政治家はこれをしっかりと吸収した方がいいんです。

役所の知恵をしっかり政治家は利用するということと、役所が持っていなくて、私たち政治の方が一番必要なのは現実感覚です。要は世の中がどうなっているかをリアルにつかんでいることが政治家にとって必要なわけです。私たち政治家は、地元の活動などを通して、いろんな会合に出たり、個別にお話を伺ったりしながら世の中で何が起きているかということを常にウォッチするわけです。役所に対してこれはおかしいとか、こちらの方向で進めてほしいというのが政治の役割だと思います。

○インタビュアー:内閣府は、いろんなところからいろんな人が来ていますから、いろんな情報が転がってはいるはずです。

○大島前副大臣:やり残した仕事が一つあります。3月に「国際女性の日」というのがありますね。イタリアだとミモザの日と言うけれども、去年、男女共同参画局とも相談してミモザの日のキャンペーンをやってみたわけです。今年できなかったことが私の一番の残念な点です。今年やっていれば、もう少し社会的な取組になったんですが。3月の「国際女性の日」にミモザの花を女性に贈ろうというキャンペーンを、民間から来ている方の紹介もあってアピールしたわけです。ホワイトデーにチョコレートで返すのではなくて、「国際女性の日」にミモザの花を贈ろうというのを是非副大臣としてやりたかったというのが、やり残した点です。

○インタビュアー:それはどういう趣旨でやろうと思われたのですか。

○大島前副大臣:自殺対策として、社会の絆を深められないかといろいろと調べてもらっていたところ、「国際女性の日」に気付いたたわけです。この日にイタリアでは毎年女性にミモザの花を贈っているんです。これだったら、男女共同参画なども配慮できて、一番スマートだと思いました。

○インタビュアー:それは副大臣が言い出された話なわけですね。

○大島前副大臣:私が言い出しました。そのときに私は各副大臣室にミモザの花を届けたと思います。辻元清美国土交通副大臣には直接本人にミモザの花を届けに行きました。今年できないことがちょっと惜しいです。

職員の皆さんには、チョコレートをいただいた方が、ホワイトデーにチョコレートを返すのではなくて、「国際女性の日」にミモザの花を贈る。チョコレートをいただいた方あるいは御家庭にミモザの花を持って帰ってほしいと思います。

○インタビュアー:お忙しいところ、どうもありがとうございました。

(編注)「国際女性の日」は、1911年にヨーロッパで始まったもので、1975年に国連が毎年3月8日を「国際女性の日」と正式に定めました。国連や世界各国でこの日を祝う行事が行われており、中には、国際女性の日に男性から女性に花を贈る習慣のあるところもあります。イタリアでは、黄色いミモザの花を贈るという習慣があります。