【国会レポート】7月4日初登院の日有権者への責任の重さを強く実感【2000年1号】
7月4日の初登院の朝、午前5時に目覚ましをセットしておいたのに、午前4時半に目が覚めました。国会正門が開くのは午前8時です。他の議員に遅れを取らないようにしなければなりません。身支度を整え、愛用の大きなバッグと当選証書の入った紙袋を手にして、午前6時にサラリーマン時代と同じように高崎線の電車に乗り込みました。
全国で2番埼玉県で1番
高崎線から山手線に乗り継いで国会正門にたどり着いたのは7時45分。開門の15分前です。正門の前には、もう国会議員の人だかりができているだろうと思っていたのですが、私より先にいたのはどこかの政党の中年議員ただ1人でした。つまり私は、全国480人の衆議院議員のうち2番目、埼玉県では1番目に登院することができたわけです。
正門はちょうど8時に守衛の手によってゆっくりと開けられました。いつの間にか、周囲はマスコミ関係者で溢れています。まず1番乗りの議員が当選証書の入った筒を片手に高く掲げながら国会正門をくぐっていきました。
続いて、私が正門を通り抜けました。衆議院の玄関までの長い道程を1歩1歩踏みしめながら、私は前方の偉容をたたえた国会議事堂から目を離せませんでした。これからこの場所で私は力の限り働くのだ。そう思うと、自分の内から熱い力がどんどんわき上がってくるのを感じたのでした。
衆議院の玄関には議員が登院したかどうかを示す名札があって、名札のボタンを押すと名前が点灯する仕組みになっています。私もボタンを押し「大島敦」の名前を点灯させてから院内に入り、衆議院の事務職員に当選証書を見せて、議員バッジを付けてもらいました。議員バッジは当選証書がないと、もらえません。当選証書こそ、文字通り国会議員である証なのです。
この当選証書は、投票日翌々日の6月27日に浦和市の選挙管理委員会に私が自分で足を運んで受け取りました。「普通は当選者本人ではなく秘書などの代理人がもらいに行くのだ」と後で聞いたのですが、私は、当選証書というのはやはり有権者から信任を得た本人がもらいに行くべきだと思います。実際に選挙管理委員会の人から賞状を授与するかのように当選証書を手渡されたとき、埼玉6区有権者、80,342票の重さをズシリと感じたのでした。これを大事にしたい。少なくとも私だけは、今後も自分で当選証書を受け取りにいくつもりです。
政治の最高権力者を選ぶという役割
議員バッジを付けてもらい、それから民主党の代議士会に出ました。その後、首相を選ぶ首班指名の衆議院本会議に臨みました。本会議の席は党派別に区分けされ、同じ政党では当選回数が多くなるほど後ろになり、同じ当選回数だと年齢が高いほど後ろになります。民主党の新人議員は43名を数えるのですが、私は前から4列目の席です。左隣りの自民党席を見ると、4列目の席には当選3回くらいの議員が並んでいます。最前列には、新人だけれども小渕、梶山、後藤田など聞いたことのある名前の人ばかりが座っていました。つまり、民主党は若い議員が多いが自民党は少なく、しかも自民党の若手議員は二世ばかりだということなのです。とすると、近い将来、政治の中心を担うのは民主党になるに違いありません。
正副議長の選出が終わって、最後が首班指名でした。首班指名は、投票する議員自身も自分の名前を明記して投票する「記名投票」というやり方です。誰が誰に投票したかがすぐに分かります。
いずれにせよ、国会議員の第一の仕事は日本の政治の最高権力者を選ぶということなのです。私はもちろん民主党代表の「鳩山由起夫」に1票を投じました。まさにこの瞬間です。80,342票を投じて下さった埼玉6区の有権者に対する責任の重さを痛感したのは。そして同時に、国会議員として全力を尽くすのだという強い決意が私の全身を貫いたのでした。