日本の政治風土は土着

2012年12月の総選挙が終わって、私が、我が国の政治について書き留めたものです。

消費増税法案めぐる政治状況は特異なものだった

消費税は竹下さんが着手しましたが、それ以前にも中曽根さんや太平さんなど、消費税を手がけようとして成就できませんでした。竹下さんは、初当選のときから本当にていねいに与党、野党はもちろん、さまざまな団体にも配慮して、恩義を感じていただいて首相まで上りつめる、その過程で蓄えた権力を使って消費税を通していくわけです。
当時の自民党の国対委員長は渡部恒三さんですが、野党である公明党、民社党にも本会議場に出てきてもらったそうです。消費税に反対であっても、議場に出てきて採決に応じてもらう―これは民意の現れですから、大切なことです。それができるのは、そこまでの人間関係の積み重ねがあってこそ、なのです。それもひとつの権力です。
そして消費税を通した後、竹下さんは首相を退き、次の参議院選挙では社会党が圧勝して、自民党が負けていく。消費税というのはこういう法案なのです。

日本の政治風土というのは、土着です。イデオロギーではないのです。中選挙区時代の自民党は、派閥ごとに土着を束ねて3人区の2 議席とか5人区3議席を派閥で分け合うわけです。これはイデオロギーではない。土着を束ねていくからこそ、岸信介さんから宇都宮徳馬さんまで、同じ屋根の下で暮らせた。これが自民党の本質だったわけです。
イデオロギー政党たる社会党、民社党、共産党は、わが国においては過半数を形成できないという歴史があるわけです。
去年(2012年)、消費増税に着手したときは、たまたま民主党という土着というよりはイデオロギー的色彩が強い政党だった。優秀な方が多くて、どちらかというと「頭でっかち」な集団だったので、消費増税についても理屈で理解したわけです。当時は新聞もほぼ全紙、「消費増税すべき」と書きました。
理屈で理解する集団が衆参で400人を超えている、ということ自体、きわめて稀なことで、もう二度とこういう法案が衆議院を通ることはないだろうと。そう思っていたので、消費増税に着手する前に統治機構改革が先であると考えていましたが、衆議院を通った以上、参議院でも通すべきだと総務副大臣として省内で言っていました。

与党の迫力というのは、そこにあるわけです。国のためには己を捨てる、と。一年生議員のなかには、「消費税を上げなければいけない」と真面目に考えて賛成し、自分が落選することを覚悟する議員も少なくありませんでした。
与党のほうは、これで解散に追い込めるという思惑もあって賛成した。ですから民主党内から大量の造反があっても、衆議院では圧倒的多数で可決したわけです。こういうめぐり合わせは、もう二度とないだろうと。昨年(2012年)の消費増税法案は、こういう特異な政治状況のなかで成立したわけです。

土着に負けた総選挙

去年(2012年)の総選挙は、土着選挙だったのですね。自民党は勝ってはいませんが、負けてもいません。

では民主党が政権に復帰するためにはどうしたらいいか。
ある議員が地方からの出馬を口説かれたときに、羽田孜さんから何と言われたか。民主党が安定的に議席を維持するためには、農業・農家の気持ちが分かる人が地方で安定的に勝てないとダメだからと。これは本質なのです。

今回(2012年12月)の総選挙で、埼玉県はほぼ全滅でした。小選挙区は枝野さんだけ、比例復活できたのが私と武正さん。国道16号線沿いの都市部になると、例えば私の選挙区でも自民公明で9万、大島9万、その他が9万というように、選挙ごとに大きく票が動くわけです。都市部においては、どんなにがんばっても踏みとどまれない、というところがどうしてもある。時々の空気で票が大きく振れるわけです。
ところが地方は同じように人口40万人でも、それぞれのコミュニティーがあるので、お互いの結びつきがある40万なのです。一度、後援会などで結びつきをつくれば、時々の雰囲気で大きく振れるということはない。

そういう意味ではわが党も、地方の小選挙区で安定的に勝てる議員を50人から100人を目指して作らなければならない。どんな政治状況でも勝てる議員をまず作らなければ、ベースができません。都市部においては、それはなかなか難しい。マンションでは戸別訪問はできませんし、転入・転出も多い。どんなに努力しても届かない、アプローチしきれないところが、どうしてもあるのです。

去年(2012年)の総選挙は、土着という日本の政治風土がそのまま出た選挙だったと思います。自民党と公明党の得票総数は09年とあまり変わっていない。イデオロギー政党が分裂しただけの話なのです。中選挙区の時代に社会、民社、共産が過半数を形成できなかった状況そのものです。改めてこれが日本の政治風土かなと思うのです。

有権者は理屈で納得しても、感情で動かなかった

もうひとつ、この間(2012年)の総選挙は営業的に言うとクレーム処理の選挙なのです。なぜかというと、「消費税を上げなければいけない」ということは新聞も全紙書いていましたから、国民も「必要だ」ということは知っていた。ところがわが党の人たちは、地元に帰ってそういう有権者を前にもう一度、「なぜ増税が必要か」を説明してしまった。そんなことは、みんなもう分かっているわけです。財務省が準備した資料を使ってきれいに説明して、受け答えもちゃんとやっても、要は「あなたたちに言われたくない」ということになる。その感情の問題なのですね。

そこが左脳系(理屈で考える)の問題なのです。
「指導者とは」という本のなかで、リチャード・ニクソンがこう書いています。「人間は理屈によって納得するが、感情によって動く。指導者は人々を納得させるとともに動かさなければならない」と。ここなのです。

この間の総選挙(2012年)は、日本国民は理屈によって納得はしたが、感情によって動かなかったということです。つまりわが党は「感情によって動く」という領域まで考えなかった。理屈によって納得するというのは左脳系の領域ですが、感情によって動くというのは右脳系の領域です。指導者は人々を納得させるとともに、動かさなければならない。
ここを左脳系でずっとやったので、「あなたたちに言われたくない」と。その理屈としては、「マニフェストに書いていないことをやった」ということと、党内がバラバラ、例えて言えば「夫婦ケンカは犬も食わない」というようなことを3 年間やってきたと。

日本の有権者は、真面目に一生懸命やっていれば理解してくれる。その「一生懸命」の前提には、仲良くやってくれということがある。そこができていないということです。
日本社会のなかでは、誰しも何らかの形で自分を抑えて仕事をしているわけで、自分を抑えられない人に対しては、カチンとくるところがある。「犬も食わない」という感情は、そういうところからくる部分もあると思います。この右脳系の領域で、大きく票を落としてしまったのではないか。

政治の安定のためには、土着が必要

日本国民とか国を愛するといったときに、個々の顔が思い浮かぶことが、政治にとっては大切だと思うのです。法案審議のなかでも、これを通したら誰がどういう反応をするかが分かると、やはりリアリティーがある。逆にそういうものがないと、どうしても理屈で勝負しようと思ってしまう。

なぜ土着が必要なのか

選挙というのは、暴力革命を抑止する手段だと思うのです。選挙がなければ、ずっと同じ為政者が続くことになるので、不満が高まっていく。これまでの歴史のなかでは、そうした不満の高まりは、ついには流血の事態に至る。その経験から選挙という制度をいれて、代議制を通じて不満を解消していくようにしたわけです。

政治の本質は何かといえば、納得感を高めることです。要は、自分たちが選んだ人間が決めたことだから仕方ないと。私も国会審議においては、どうやって党内、そして他党を含めて納得感を高めていくか、その交渉を細かく積み上げていくわけです。
その集大成が選挙なのです。このときに、候補者と自分たちとの距離が近いと、有権者の納得感も高まる。これが遠くなってしまうと、「なんだ!」ということで、他の政党に移ってしまう。だから納得感を高めることが大切なのです。

なぜ土着にこだわるか。これまでの日本は、戦後七千万人だった人口が一億二千万人まで増えてきたという「いい時代」だったのです。あまりあれこれ考えなくても、設備投資も次の景気回復期で回収できた。しかしこれからは同じ年月をかけて、八千万人まで人口が減っていく過程です。ですから、私のところにみえる政治家志望の方には「これから政治家をやっても、いいことないよ」と伝えます。
これまでは税収も増えていたから、夢を語れた。みなさんに感謝もされた。でもこれからは負担をお願いしなければならない。感謝はされません。消費税だってこのまま10%でとどまるかといえば、おそらく欧州なみの20%に向かっても5年に一度くらい、こういう議論が繰り返されるでしょう。その都度、政治家は「しっかりしろ、他にやることがあるだろう」とお叱りを受けるわけです。そして選挙のたびに大幅な入れ替えがあったりする。

こういうなかで国民、有権者の納得感を高めていくためには、しっかり地域に根づいていないといけない。当選するために地域に根づく、ということではありません。そうでないと、国民全体の納得感が積みあがっていかないからです。選挙のたびに「青い鳥」を求めるように、何かに期待し、また失望するということを繰り返していては、政治が不安定化してしまうわけです。
ですから理屈で納得してもらうとともに、感情で動かすという領域まで、私たちがコミットメントしていかないと、日本の政治全体が安定しないことになるわけです。

政治が不安定化すれば、わが国にとっては富の流出になります。外交交渉力も弱くなる。政治が安定するためには、時々政権が交代するにしても、与野党ともに安定している人たちが、それなりにいなければなりません。

時間をかけて信頼関係の集積を

日本の首相というのは、すぐには務まりません。以前、鹿野道彦さんに「どういう人が首相になるのですか」と伺ったら、それは9期、10期当選するということと、信頼関係だと。これは与野党含めた政治家、役所、マスコミ、団体などとの信頼関係です。そういう信頼関係は、ある程度安定して仕事をしていないと作れません。そういう人材を輩出し、安定的に国の運営を行うためには、与野党ともに地域にきちんとコミットメントをしている人を、一定の規模で作っていかなければならない。
今のように、選挙に負けそうだからと右往左往するような人たちばかりでは・・・

わが党の惜敗中のみなさんは、日本の宝だと思います。真面目だし、よく勉強している。残念ながら現在は惜敗していますが、こうした若手の人たちが次の選挙まで、しっかり地元に根づいて、有権者のみなさんの顔を思い浮かべながら政策立案できるようになっていけば、日本の政治家の層が厚くなっていくと思います。

終りに、明治初期に、岩倉具視使節団というものがありました。一年九ヶ月かけて世界を回ってくるわけですが、欧米を回って当時の最先端を見聞した後にシンガポール、香港などの植民地を見て帰って来るわけです。これだけ長い期間いっしょにいて、その間ずっと議論をしていた。そのなかで、本当に信頼できる関係ができたと思います。こうしたチームがあったことで、明治維新はうまくいったのではないか。
本当は、有望な若手をこのようにして育てていくことが必要だろうと思います。政治の安定のためには、こうした信頼できる関係を築くことが不可欠です。

(2013年3月6日)