【国会レポート】原発事故も起こった巨大地震 政治家の危機対応の心構え【2011年3号】

3月11日金曜日午後2時46分に大地震が発生したとき、私は鴻巣のフラワーセンターの事務所で花卉市場について話を聞いていたところでした。長くゆっくりとした大きな揺れが続いたので震源地は遠いと感じ、発生の恐れが高いとされていた三陸沖の地震だろうか、首都直下型地震が起きることはよもやないだろなと考えました。

フラワーセンターのビルは新しく、免震構造であり、私は冷静に対処することができました。また、フラワーセンターの社員の方々も落ち着いて行動され、事故も起こらずに安心しました。

揺れ続けるなか、地震の状況を知るために国会や政府に携帯電話を掛けたのですがどこにもつながりません。そこで、車で地元を見回ることにしました。停電で信号も消えていたので用心しながら車を走らせたのですが、家屋の倒壊はなく、屋根の瓦が一部落ちていたり大谷石の塀の上部が崩れていたりしている場所が何ヵ所か確認できました。

夜になると、停電で真っ暗な地域と停電にならずに変わらぬ日常が続いている地域があり、この奇妙なコントラストが心に強く残っています。地元の友人の話によると、ありがたいことに消防団を中心に見回りのパトロールをして下さったとのことでした。

地震の夜は停電のためにテレビは見られず、ラジオで地震関連のニュースをずっと聞いていました。2001年9月11日に米国で同時多発テロが発生したときはすぐに東京に駆けつけたのですが、今回は首都圏の電車はすべて止まっており、いわゆる帰宅難民も出ている状態で、自分は今動くべきではないと判断し地元にとどまることにしたのでした。

原発事故で最悪のケースを想定

今回の地震では福島第一原子力発電所で事故が起こり、11日夜に「住民の避難範囲は福島第一原発から3キロ」という官房長官の記者会見に接したとき、次のメールを同僚議員にうちました。22時56分「原発の避難範囲はもっと広げるべきと思う」。

というのも、鉄鋼会社に勤務していた経験からプラントは10メートルを超える津波に遭えば大きなダメージを負うと想像できたのでした。また、私は20代にドイツに駐在していた際にチェルノブイリ事故と遭遇しているので、当時のヨーロッパの危機感が甦りました。翌12日土曜日12時42分に同僚に送信したメールが携帯に残っています。「関係者の情報にしたがっていると対応が遅れる。メルトダウンを前提の非常事態も視野にいれるべきと考える」。

12日土曜日、13日日曜日、14日月曜日と同僚の国会議員や党の幹部に「最悪の事態を想定すべし」と強く働きかけるとともに会議でも「原発で作業されている方を思い遣ってほしい」と訴えたのでした。

危機意識を持って政府に働きかけ続けた

国会では党の対策本部が立ち上がっていたので出席し、また、同僚の政務官のところに赴いて、政府の震災対応の全体的な事情について意見交換を行いました。

また、翌月曜日には株式市場が開くので、知り合いの国際金融の専門家に急遽国会に来てもらい、株式市場を開くべきかどうかについて意見を求めました。「16年前、阪神大震災の際の株式市場も、9・11翌日の米国の株式市場も閉じなかった」とのことで、「同様に株式市場は閉じるべきではない」という結論を得て、それを大臣経験者に伝えました。

さらに、15日火曜日夕方になると、私と同じような危機感を共有する何人かの国会議員と専門家が集まって原発事故対策についての情報交換を行い、政府に事故対応を提言することになりました。提言ですから、それを採用するかどうかは政府の判断なのですが、この提言によって各役所相互の連携が取れて動き始めればと期待したのです。つまり、政府が採用するかどうかに関わらず、政府に対する提言が正しいと思えば準備を進めるべきと行政組織は考えます。そういう意味で提言によって方向性を示し個々の行政組織が動き始めれば政府の機能を補完できると考えました。

政治家の危機対応には何が大切か

ところで、首相が12日早朝、ヘリコプターで福島原発に行って現場を視察するとの一報を聞いたときに「行くべきでない」と思いました。私の経験では首相の安全確保のために少なくとも数時間は作業が止まります。また、現場でもし首相が事故に遭ってケガをするようなことがあれば、我が国は指揮官不在になってしまうからです。

今回の巨大地震のような危機が起こったときには、政治家は自分の直感に頼って行動したほうがいいと思います。しかし、この直感は単なる思い込みではなく経験に裏打ちされていなければなりません。私の場合、チェルノブイリ事故に遭遇したときの現場感覚に加え、メーカーに勤めていた時代の危機対応の経験もありました。製鉄所では、たとえば台風が来るというときには製鉄所の操業に大きな影響が出てきますから対策本部が設けられます。私は工場では事務系の仕事をしていましたが、そのときには一晩中事務所に詰めたり、工場を見回ったりしました。こうした危機管理体制の中での経験は今回の原発事故対応でも生きていると感じます。

もう1つ重要なことがあります。非常事態では、一、二週間くらいは政治がトップダウンで強く引っ張っていかないと物事は進みません。震災直後、私は、原子力発電所燃料プールに給水する機材の搬入に関して関係者との調整を行い、また、陸前高田に行っている畠山県議(上尾市)から「岩手県の行政が機能していないために支援物資を積んだ船が釜石港に入れない」との連絡を受け、ただちに国土交通省に働きかけ、救援物資を釜石港に下ろすように手配し、無事に陸揚げすることができました。

そうしてある程度、事態が落ち着いてくれば、各役所の対応に任せてもいいと思います。逆に言えば、初期の危機管理こそが政治の大きな役割なのであり、国の危機に臨んでは、与党も野党もなく、政府も議会もなく、政治家は私心を捨てて国難にあたるべきと強く決意しています。